金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

前の長吏様の話

私がもっぱらお世話になってきたのは今の園城寺の長吏様ですが、前の長吏様にはどこか近づき難い厳しいものがありました。
今の長吏様は飾らない気さくな方ですので当初から私のような身分のものにも親しくしていただき、私のような在家出のものが、何とか体裁を整えて今日あるのも全てこの現長吏様のおかげなのです。

でも前の長吏様にも大変に教わるところが多々ある立派な方でした。
その中でとても敬服したのは、どんなご挨拶のお品をもって言っても、おかえしは「お念珠」なのです。
まあ、お返しにそのような立派な物をもらっては困るというような土産物のお菓子などをもっていってもそれを下さる。逆にお供えを少し奮発してお供えしても同じなのです。
だんだんわかってきましたがここが実に偉いお方だなと思うのです。
宗教者はそうでないといけない。
もらったものの多寡でいろいろ考えれば、そのつもりでなくても、いつの間にかモノやお金で動くことになる。
それが同じ扱いならそうは決してならないからです。
そこに重要なお考えがある。

これと別にあるお寺(他宗)でのこんな話を聞きました。もう20年も前のお話です。
これはその本人が来て語ったのですが…。
その人は結構な資産家でした。事業をある程度したら何か仏いじりのようなことがしたくなり、面識のある和尚さんの門下に入ろうと思ったそうです。
しかし、なかなかすぐには入門を許してもらえないお寺と知って、毎度お参りにお供えをうんと持っていく。お金もうんと持っていく。「先生こちらをご本尊様に」とか何かと寄進する。金満家なのでこれでもかとばかりしたそうです。
勿論、和尚さんに気に行ってもらうためです。
そうしておいて半年ほどたって「先生、私眼にもお得度をお許しくださいませんか?」と聞いたら
「ウ~ン…あんたはちょっと困るな。」
「エ、なぜです?」
そして、ついつい「和尚、こう言っては変ですが…私は毎度御本尊様にもお寺にもお供えもしましたし、お寺の修復に大きいお金を出しました。礼儀も尽くしてまいりました。一体私のどこがどのようにいけないんでしょうか?」と口にしてしまったそうです。
「それそれ、それがいかんのです。」「え!?」
「だってそうでしょう。考えても見なさいな。アンタがそうしていることは今では皆よく知っている。
そんなに毎度毎度大きなお布施をもらった人を得度したら、後の人はどう思う?私もそうしなくちゃいけない、それが当たり前なんだ。そうでないと得度してもらえないのだと誤解するから困るんです…。
そのあとだってほかの弟子と足並みがそろわんだろう。
だからあんたにはお得度することはできません。得度は勘弁してください。」といったそうです。
幸いご本人は賢い方ですぐにそのまちがいに気が付かれ、そののちはただ、良き在家信者たらんと考えを改めて得度はきっぱり諦めたといいます。

御得度は信と誠によってのみ許されるものです。
お布施の額じゃないよね。