最近「言葉」というものについて飯縄様は厳しく言われます。
今朝も夢うつつに声だけ聞いたような気がする。(大体、滅多にお姿は見えません)
「今日よりは言の葉の行ぞ。自ら語るところが自分自身であるぞ。自らが日ごろ何をどう言わんとするかとくと考えるのだ。」
「言の葉」
あまり飯縄様にお聞きしてもほとんど返ってはこないのですが、以前「コトダマ」と言っていたら「違うぞ。コトダマではない。コトタマだ。」となおされたことがある。本当はどっち?判らんけど。
聞いても何も答えないけど、そういう折に触れむこうから突然何か言われることはある。
まあそれはともかく、飯縄様は自分が何を言わんとするのか、それによって何を得ようというのか意識せよとはくりかえしいわれる。
たしかに言葉一つで物は左にも右にもわかれる。
でも、そのように言われると何を言うにもビクビクですが…「それでよい。それがないのが、そもそもよくない。」といわれます。