金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

卒業できない私

私は師匠からお前は好きなことはよく勉強するけど、嫌いなことは全くやらないねと注意されましたが、学校でもそうで好きな授業と嫌いな授業がはっきりしていました。
それでなのか、今でも学校の夢を見ます。

「卒業出来ないと大変」という夢ですが、はじめは高校時代の夢。それがだんだんと大学に移っていくんです。
ズーッと大学行っていないや、授業わかんないし、テストあるし、どうしよう!という夢。
実際の私は大学では単位が足らない授業は一つもなくほぼ皆勤賞でした。
一部からは「羽田君は大学院行くんでしょ」って言われて「勉強好き」と勘違いされていました。
もっとも行っていたら就職できないから、とりあえず大学院行く組になっていたでしょうね。そんな余裕なかったからよかったけど。
別に何となくだけど…スーツ着てカバンもって満員電車に乗って会社に勤めるのはなんかイヤだなと思っていたし、なりたいなと思っていた心理カウンセラーって仕事はその当時は仕事として確立していませんでした。いっそ、江戸時代の風鈴屋さんだのシジミ売りみたいな職業があればいいなあと思っていた。怠けものです。
でも、今考えると実際のシジミ売りや風鈴売りはかなり大変な仕事だと思います。多分慣れるまでやりきらんわね。

中学時代は学校行くのが嫌で登校拒否。30日くらい行かないんです。
なぜ行かないのかというとやっている授業に意味が感じられないんですね。
親も何も言わない。「勉強なんかいくらできたって、人物が良くないなら無意味だ」という風でしたからあまり勉強に重き置かないんですね
親類に町一番の優等生でしたけど親捨てて出てっちゃったのがいたんで。
かわりに「孝は百善の基」とか「親は大事」あるいは「親不孝は最悪、最低のクズ」というのをうるさいほどいう。
手前味噌の辛いのもここまでくると驚異的です。
こういうのあんまり言うと逆効果です。「子供をてんんで信頼していないんだね」ってのは見え見えです。
そういう親戚を見ているから、徹底的に摺りこんで洗脳しておかないと裏切られると思ってるんでしょうけどね。
此れ失敗です。
こまった環境です。

こういうとえらそうだけど別に成績は全然よくありません。
四六時中、色々空想とか物語とか考えているんで脳に授業が入らない。
私的にはそっちの方が英単語や数式よりも大事なんです。
何か授業で一つの問題が出て、そこに疑問が出ると頭が次に行かないんです。なんで?で思考が止まっている。だけど授業はどんどん先に行ってしまう。授業についていけないんじゃなく、ひかっかるとその先にはついていかないんです。
「それはそれでいいや」はないんです。
例えば分数の割り算って実際はどういうバージョンなの?とか考えてしまう。
公式を無条件に憶えない。だから数学とかは駄目。物理はまだまし。現実が伴うから「なるほど。面白い」とおもうところはある。
数学なんか面白くも偏突もない。高等数学なんて、こんなの趣味の領域だと思って聞いていました。
英語は駄目でしたね。、日本語に直して理解しようとするから。そういう人は外国語は駄目です。
だからローマ字よんで「アメリカン」なんてのは駄目。カタカナで江戸時代に描かれた英語の本。「メリケン」とかの方がずっと理解できる。だって実際はそう聞こえますし、そういう発音の方が通じますもの。
万事そういう風。ほんまもんのバカですね。
社会とか国語は良かったね。受験にあんまり関係のないものは良かったんです。英語や数学のような受験の王道は駄目。興味もまるでなし。
それでいて「国語ができないやつは本当は馬鹿なのだ」とか、生意気なこと言っていた。「語彙や表現が理解できないということは思考が限定される。」とか、自分のバカさを棚に上げてそういうことをほざいていたんですね。
はっきりいってそういう頭のおかしい子供だったんです。
今でもある意味、頭おかしいのはほぼ一緒ですが(笑)

それで今日はついに退学する夢。もう60歳にもなって卒業できないんじゃ無理だから退学届出さなきゃって夢です。
何十年たっても「勉強苦手」なオバカな私は今も脈々と私の中に生きているんですね。いつまでたっても卒業できない私がいるんです。