金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

調伏のお話

よく知った二人の先生による「呪いと霊的防衛」のセミナーに行ってきました。
なかなか興味深いセミナーでした。
ここで呪いと言えばよく連想されるのが密教の調伏法です。
調伏は元来は内なる煩悩の調伏であって他者に向けられるのはその応用です。しかも天下、国家のための祈り、私怨じゃダメです。
よく不動明王で調伏されているとか、愛染明王で調伏されたとか言ってきますが、確かに調伏の本誓があればそのような「働き」はあると思いますが、そこは仏です。
恋愛でふられた腹いせや商売敵、仕事のライバルだからといって、仏ともあろう存在に怨恨の呪詛を祈ってききますか?
少し考えればわかるはず。
行者だってまともな人はそんな祈りはしません。まして「ほとけ」です。
そこのところ考えればこういう祈りが果たして成立するかどうかすぐわかるでしょう。
でも、不動明王真言唱えて調伏したらきいてしまった。
相手に不幸なことがばっちり起きたという人は少なくないでしょうね。よくあるんです。実は。
 
プロの行者でも調伏してきいたから仏はそれでオーケー出したと思っているバカがいる。
でも確実に当の行者も堕ちていきます。

それってどうなってるの?
実はここで本尊やっているのは邪霊です。
お不動さんのニセモノがやっている。
そういう道場は行けば禍々しさが充満しているのがわかる人にはわかるはずだと思います。気持ち悪くなる。
でもこれ、相手が滅んで万々歳じゃないのです。相手の次はあんたですよ。縁によってできるだけ取り込んでいく。「七人みさき」って言うのもそうですね。
関係者は呪いを縁として全部引っ張り込む。
じゃあ、本物のお不動さんはそれをどう思うの?
なんとも思わんでしょ。呪うなんて人間はそもそもお不動さんとつながれないから。
「あ、あいつは俺のニセモノにだまされとる。救ってやんなきゃ」なんてことは起きないのですね。騙されるようなことして騙されているんだから。
ブランドのニセモノ売っている店に、ブランドの本店から一々怒鳴り込みませんよね。そういうもの。
余り多ければ折あれば一掃するだろうけど。
元々まともな信仰ズットしていて道を外しそうになった場合はそういうのやろうとすれば警告が来る。逆に罰当たるとか障礙が出る。
「やめぬか!愚か者」というお叱りが頂けます。
でも初めからまともな信仰がない奴は初めから悪魔がお相手してくれます。
悪魔がお相手するのは相手だけじゃない。次は当人です。
ごくごくマレに「大きなお金でも頑張って出すから調伏してください」なんていわれるけど、やなこった。
あるいは手紙でくる。相手の名前が書いてあって「酷い奴がいるのです。こいつを調伏してください。お札はこちらに送ってください」なんて書いてあるけど。お手軽なもんですね。即、焼却です。
返事ですか?勿論出しません。

何でそんなものに一口乗って本尊から見放されるようなバカなことするもんですか。
一生の修行がパアです。
第一「,コイツほんとに酷いんです。コテンパンにやっちゃってください。」
「はいはい、了解、了解。早速調伏しませう。」なんて馬鹿なことあるわけない。
事の顛末の真相は知らないし、一方的な話のみでは判断すらも到底できません。
できるのは反省を持って事の収拾をするのみでしょう。

ほんとに正義が自らにあるというなら、まず自分自身で仏に祈ることです。
ひどい目にあったら「念彼観音力・衆怨悉退散」とくりかえし唱えることです。
これは呪いじゃないからね。
自分を敵から守ってくださいというメッセージ。
専守防衛だからオーケーです。
まず、自分で本尊に直訴してみることです。
御祈祷も守りの御祈祷なら事と次第でしないわけではありません。