金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

不動慈救呪一洛叉


来月から新たにお弟子になられた方々が、不動慈救呪 一洛叉の修行に

入られます。

一洛叉は十万遍真言をお唱えする修行です。

天台では密教の修行に入る前行として、三千仏礼拝、法華経全巻読誦、不

動慈救呪一洛叉の行を修めます。
 
殊に不動慈救呪一洛叉は、密教の行法の核ともいえる正念誦、字輪観、

入我我入観を行う

重要な修行であると言えます。

神仏を慇懃に供養すると言う事にこだわれば密教はどこまでも細密に丁寧

にこだわる事が出来ますが、自行と言う事であれば、正念誦、字輪観、入

我我入観で確実に神仏とつながる事が可能であると思います。

この行法は自身を加持する事であり、本尊を観想し、真言を唱え本尊と交

感し本尊と我とが、別れたるものではなく、そもそも一体であり、我が心奥

より去来して、この現象の世界に顕れ来る存在で

ある事を自得するのが趣旨であるとかと思います。
 

私自身の事を申せば、この行をしたのは二十歳を少し過ぎた頃で、まだこ

う云った行について理解が浅く未熟であった為、三昧や禅定だとか言った

話ではなく精神はちりぢりで取り敢えずなんとか一洛叉に達したというのが

実際の所でありました。

そも密教の修法において、正念誦、字輪観、入我我入観が大変に重要なも

のである事を自覚したのは随分後の事で、その後に文殊五洛叉を行いこ

れは或いは不成就と見るべきなのかも知れませんが、

心身のコンディションがあまり良くなく、また頭部にエネルギーが集中しすぎ

た事もあり、今となっては当時の現象や感覚について自分の中で再現し言

語化するのが難しくなったのですが、その事により、正念誦、字輪観、入我

我入観の重要性を身をもって体感した次第です。

三井寺観音堂に居た頃ももっぱらこの行を中心に毎日行いました。
 
この行法を行う事で、自らの中の仏性、神仏とのつながりと言う事が現実

のものとして実感されるにつれ、他者の中の仏性、天地自然、あらゆるも

のに仏の性質が宿っており、私たちが働きかける事で、神仏が顕現し、日

常の事象の中に神仏の存在を実感するようになるかと思います。
 
これから入行される修行者の方々の行が実り多きものと成る事をお祈りい

たします。
                                   
                              合掌      悠照



まあ、在家行者としては究極の行ですが密教行者としてはここが初門中

初門ですね。しかし初門の中にすべてがあるということもできます。

 羽田