金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

供養の心

うちは滅罪的なことやるのは「地蔵盆」だけですね。
だからほんまもののお盆は暇そのもの。だ~れも来ない。
まあ、別段休みにはしてないんだけど誰も来ないからのんびりです。
基本的に用でいないことはあるけど休みはなしです。

そんな中でお盆になるとよく聞かれるのが、「日ごろお仏壇に拝んでいるのですけど…お墓は行かないといけませんか?」という質問。
「でも供養したい心があれば行くべきじゃないの?」言うのが私の答え。
なんでも早く便利に手間省いて…が世の中の流れだけど宗教はそうじゃないんですね。お分かりですか?
「じゃあ、いきたくなけりゃ、いかなくていいの?」とまで聞く人もいた。「いいでしょうよ。人のうちのことだからね。わたしは知りませんから。」
供養する心がないのに行く理由なんてある?
供養しないで祟ると怖いとか?
先祖なんだから祟るわけないでしょう。
祟られなくったてそういう考えの人の人生は似たようなもんでしょうから、改めて気にするこたぁ何にもないです。

「お墓いってもそこに亡くなった人たちが実際がいるわけじゃないでしょ?」
それはそうです。キリスト教みたいに最後の審判までお墓の下にいるなんてことは実際はないと思いますね。地縛霊でしょ。それじゃ。
でも、お墓はあの世と私たちをつなぐ場所。スカイプみたいなものです。
そこに行ってつながる。仏壇だけじゃダメ?駄目かどうかは仏壇だけの理由によります。
たとえば、家は東京だけどお墓は与那国島とかはお盆に毎度行けなくても無理もないかもね。
でも、お墓っていうのは個人とつながるための場所。そういうフィールドでしょ。
そのためにある。
それがあるならよりつながるためには当然行った方がいいでしょうよ。
供養の心はそういうもの。
それに比べて仏壇というのは菩提所の出張所みたいなものです。

最近テレビドラマの仏壇みていると本尊がない。宗旨がどうとかだとうるさく苦情が来るのかね。敢えて宗派不明設定が大事なのだろうか?公共の場は無宗教じゃないといけないとか思っているんだろうか。
もしそうならトコトン骨の髄までバカな奴らだ。
テレビ局もバカなら文句いう奴はその100倍バカだね。そんなのどうでもいいじゃないの。自分の信じていない宗派がテレビに出ると不愉快なんでしょうか?
それでいて結婚式には神父や牧師がのこのこ出てくるドラマ番組なんて山ほどあるのにねえ。どうなってんの?