金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

まず自分がしっかり信仰すべきでは?

「是非とも相談して祈願も頼みたいんですけど…家の者がそういうのどう言うだろうか?」と心配でならない人。
「お札はうちには持って帰れないですね。お札はこちらで祀ってくださいますか?」という人。あるいは「主人や女房には内緒にしたいので絶対印刷物とか送らないでください。電話も困りますので絶対やめてください。」という人がいますが…、勿論おくりませんとも。決して電話もしませんとも。
そしてご祈願もこれまた致しません。
ご心配ご無用であります。

そういう人はうちでは無理なのです。
私には自分の信仰も表明できない人のために、「欲願」を祈る心の持ち合わせなんてはありません。うちは秘密結社とかじゃないし。
そんなくらいなら、もっと本気の人の御祈祷にエネルギー使いたいですね。

そういうのはそちら様の家の問題でしょう。私が都合したり、工夫したりしてあれこれ心配することじゃないよね。
別に信仰がばれたからと言って火あぶりになるとかじゃないでしょ。

信仰するなら覚悟がいる。別に家の人を勧誘しろなんて言いません。
人にさせる必要は全くなし!そんな資格もないはず。でも自分がいい加減なのは論外。まず自分でしょ。
家の人間がどうとか言っているけど、それは嘘です。
第一、 家の人に言えないというのは自分もどこか信仰を後ろめたく思っ
ているからなんですよね。

人にはさせなくていいけど、同時に自分の信仰はしっかりと持っていただかないとお話になりません。
むしろ「自分が助かりもしないのに人間呼んでくるな」と言っています。
私の知る手技治療している先生がそうでした。会員制だったので黙って断りなしに人連れてくると「自分が治ってもないのに勝手に人連れてくる奴があるか!」と言って、連れてこられた人は「あんたはいわば騙されてきたようなものだから気の毒だ」といってみるけど、勝手に人を連れてきた人はもうみないというって追い返した。
ま、フツーは驚くけどそういう人でした。

だいぶ以前ですが時々相談にだけ来ていたご夫婦が「私たち、こちらで信仰はしていないんですけど、大勢の人をこちらに紹介して助けてもらいました。本当に徳を積ませていただいてると思って喜んでいるんですよ。…ホホホ」
というものだから「フ~ン、そうですかあ。自分が信仰もしていないものを人に勧めるなんて極めて無責任と思いますけどね。そういうので徳を積むことになるのでしょうか。なる訳ないでしょ。」といってやった。
それで初めて自分も信者になった。
「○○さんて本当に素晴らしい方ですね」とニッコリいうなんてできないね。へそ曲がりなもんで。

信仰って何だと思っているんだろうか?というより、実際は信仰じゃなくてなんかマジカルなパワーで何とかしてほしいとかなのかもしれませんが、そういう力は人間である私にはまったくありません。
超能力者とか霊能者ならいいんだろうけど…。
かならずしも信仰ありきじゃないからね。
だからよくこんなのご相談できますか…?って難しい問題抱えた方から手紙もらうけど、まずね。信仰することが前提でないのはうちは無理なんですね。
占いだけするなら、してもいいけど、世間の占い師さんの方がきっと上手でしょうし、当たりますよ。()
だから、ただちょっと見てなんてのはやらない。一件一万円だから気楽に頼めない。実はわざとそうしてあるんです。
「おたくは高いですよ!」という文句をつける電話も来ました。「じゃ来ないでください。」でおわり。

だいたい安い見料でちょっと見ろ…なんて言っても本当は本音の悩みがあっても隠してる。
試してほかが当たるなら聞いてみようと思っている人もいるわけです。
隠しているものをほじくる気はこちらだってないから、「ちょっと見たって何も解決できませんよ。お金が無駄だからやめなさいよ。」と言っている。
本気で無い占いなんて遊びの域でしょう。そんなの意味ない。
だからいくつも聞こうとする人には「今日は一個にしときなさい。
一個当たったと思ったら、また来たらいいでしょうよ。」と言っています。

最近は電話帳の広告も八月で打ち切り。
事情の分からない人、たとえば「占い師だと思っている」「お金出せばきっと、どんな祈願もしてくれる」「お葬式してほしい」などというご質問に色々それをしない説明するのは面倒なんで止めました。
また、夜中にジャンジャン電話かけてくるのもアイタウンページを見たという方々。(今はもう鳴らない設定です)
多分めぼしそうなとこは次々アクセスしてるんだね。
この間いきなり電話の広告見て、アポなしで来た方もいたけど…失礼ながら、うちではおよそ場違いなご相談(警察に行った方がいいような)だったので敢えてそうしてよかったと思いました。