金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

何ぞ個々の敵を見ん

「それからの武蔵」という作品があります。小山勝清さんの作。
テレビでも中村錦之助さんや北小路欣也さんが主演で武蔵をやった。
この小説とても面白いのでテレビも小説もよく見て、よく読みました。
巌流島以降の宮本武蔵の話。
足利将軍の孫娘、佐々木小次郎の恋人、吉岡一門の元用人、京都司処代の隠密だの、妖剣の使い手松山主水(実在の人)だの、細川公だのといろいろ出てくる。
そのなかで武蔵は剣法の奥義を求めて、今は九州は人吉の田舎で畑を耕して暮らすタイ捨流の始祖「丸目蔵ノ介」という老剣客を訪ねます。
この方も実在の剣客です。
蔵人の介は武蔵を畑に誘い鍬をふるい、その姿に武蔵は兵法の極意を見出し感銘を受けます。その蔵人の介のセリフにこういうのがある。
「金剛王宝剣、一打百魔を粉砕す。何ぞ個々の敵を見ん。陰陽乾坤手の中にあり」
此れ剣術の話なんですが、実は人生に通じる話でもありますね。
 
大事なのは「何ぞ個々の敵を見ん」ということ。
これは個々の問題と逐一向き合うという生き方ではなく、自分の生き方を貫くという教えに通じると思いました。
勿論、問題は問題としての認識があっての上でのお話です。
個々の問題にあまりにとらわれると自分のありかたはぶれてしまう。
だけど「自分のありかた」を貫けば諸々の障害は自ずと解決するんだなと思うのです。つまり、「一打百魔を粉砕す。」です
勿論その在り方いかんにもよるわけですが。
先ず自分のありかたが基本だということは本当でしょう。
古くは明恵上人に「あるべきようは」があり、江戸時代には慈雲尊者に「人となる道」があります。
いかにあるべきかが定まれば人生の百魔粉砕、何ぞ個々の敵を見んということになるとそう思うのですが…。

かくいう私はと言えば…いまだ個々の敵を見てうろたえているレベルで情けない限りです。

 
 余談ですが小説では宿敵役に抜擢されている妖剣士、松山主水は二階堂流兵法を立てた人で武蔵と同じ細川家の剣術指南でした。
不思議な人で実際、掌を前にかざすと人が倒れたといいます。
一昔前の気功家のデモンストレーションみたいですね。
細川公と何やら秘密練習していて、ふたりとも部屋から汗だくで出てきたとか。多分心法の一種なんでしょうね。内容は知る由もないですが…。
この人日常のふとした油断で斬られてしまい、 その兵法は残念ですが失伝してしまいました。
しかし、武蔵と試合したという記録はないようです。