金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

修行者らしい生活は?

今日はこれから飯縄山に修行に行くお弟子さん。行が終わって帰ってきたお弟子さん。
両方あいさつに来ました。
で、終わった方のお弟子さんから「今後何をどうしたらいいですか?」
といわれたので、「まあ、修行者らしい生活をすることかなあ・・・。」と答えました。

じゃあ、どういうのが修行者らしいのか。
朝早く起きて水かぶって千遍念誦するとか、精進料理で生活するとか・・・
そういうのもいいでしょうけど、正直言って私はあんまり価値を感じない。

仏教の場合は貪瞋痴を除こうとすることが行者らしい生活と思う。
貪り、瞋り、愚痴をそのままに百回山登ろうが、千回滝に入ろうが無価値です。
仏教は人間修行であり修養です。
まず謙虚ということがないなら修行なんてしない方がいいね。偉くなったつもりになるだけ害がある。

修行することが偉いんじゃない。それは全く世間の人には関係ないこと。
山奥行って10万遍の念誦するのは大変だけど世間的には何の役にも立ちません。
どんな難行苦行も所詮自己満足の域を出ません。
自分がやりたいからした。
それだけ。それ以上の意味はない。
行とはそういうもの。
社会的には道路に落ちた空き缶ひろいでもした方がよほど有益です。
だから、何か修行して偉いものになったつもりなら、そういう人は修行はしないこと。
毒になるから。そういう毒一杯の人はけっこう見てきた。
たとえば千回護摩焚いても何かというとブチ切れたりしては修行なんてしない方がましですね。
そういう人ははた迷惑やし。