金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈願の領域、自分の領域


だんだんと受験シーズンが近づいてきましたね。
受験の御祈祷も多くなってくる。

でも、わかりきったことだけど神仏への祈願は自分の及ばぬ領域にたいしてなされるものです。
自分でできることは神に頼む領域ではありません。

たとえば祈願を頼んでおけば努力せず勉強ができるようになるのか?
それはないんです。
だから「拝んでも頭は良くならないよ。使わないと。」と言っています。

実際にボールをけらずにサッカーがうまくはなりません。
水に入らずに水泳はできるようになりません。
ピアノの鍵盤に手を触れず上達はしません。
そしてどれも初めての中は上手にはできません。
それ当たり前。そこは努力しかない。
祈願は努力を実らせるためのもので努力抜きでの結果はありえません。
商売も同じでしょう。営業努しないで儲かるわけはないのです。
当たり前だけど…案外わかっていないんですね。
逆に「神頼みなんか駄目だ。」と言う人もいますけど、もちろん自分がやるべきところは神頼みしても無駄なんです。

だけどどうしても人間の及ばぬところがある。
目に見えない部分です。
そこが神だのみの領域。
そこも含めて神頼みは駄目というのは自分というものを知らないね。
まあ、無神論者なら皆そう言うだろうけど、
神仏の有無はさておき、自分の及ばない領域があると知らないものは幼稚な人間です。
努力だけで行けると思うのはおかげ様ということがわからない人間。
努力家だけど大した人間じゃないね。
そのうち鼻をへし折られる典型的人間。

神仏の領域。自分の領域。全てにこの二つの領域はある。
だからなんでも祈願はできるけど、なんでもすべて神仏任せはできない。
神仏は目の前に出てはきません。
でも自分の回りの流れを神仏の働きとして考える。
それが信仰ですね。
自分の領域。神仏の領域。
細かく言えばそれぞれの中にもそれぞれがあるけど…
基本はここをごちゃごちゃにしてはいけないと思うのです。