でも基本的にいろいろ言われても、答えは私の意見に過ぎないということ。正しいかどうかはわかりません。
正しいかどうかと言っては変ですが、適切か否かはその人がどういう立場で訊いているのかに寄るんですね。
だからたとえば「先祖供養を正しくやりたいんだけど・・・」と言うお尋ねでもどういう立場で正しくやりたいのかわからないと答えようがないということもあります。
真宗さんなんかは先祖供養という概念がそもそもないし…。
でもうちから言えばオーケーなんですね。
そこをハッキリしないと答えられない。
これは天台や真言では考え難い。
じゃあ、間違いですか?
いいえ日蓮宗ならそうやるんでしょう。
日蓮宗ならそれでいいんです。
だからここの正しいという意味は非常にあいまいなんですね。
ハッキリ、正論を言うなら自分の菩提寺に聞くべきなのです。
私なんぞの出る幕じゃないということです。
基本的に私は葬儀や法事は自分のご宗派でやってくれればという考え。
聖天様もすでに信仰しているなら。先祖ごとは私なんかじゃなくそのお寺で指導受けてくださいと言う立場です。
よそのお寺さんがやることには私、口出ししませんので。
祈願でもよその信者様には、そういう意味では何の興味もありません。
関わったところで、所詮よそはよそうちはうちですから。
垣根は超えられない。
「うちの信仰しているお寺はこれこれこうなんです。変じゃないですか?」と言われても、そこはそこのお寺で私とは何の関係もないのでいいの悪いの言えないよね。
あくまでコメントレヴェルです。
でもジャッジはできません。
たとえば「お葬式で200万円もお布施要求されたんです。」といわれれば、私の考えではそれは相当高いお布施だけけどそこはジャッジじゃない。
ただの「高い」というコメントです。
しかも、あくまで私から見てという条件付きです。
それを「良くない」とか「ボッタくり」とかは言えない。
どんな場所でどんなことを何人でしたのかも知らないし。
だから葬儀でも祈祷でも「よそでこんな大金取られた」と文句言う人は本気で相手にしません。
お金取られた!というけどだって…結果的に払ったってことは納得したんでしょ。納得できないなら払わなきゃいいんです。
そこのトラブルには私は何の関係もありません。
だから、お金のこと言う人には「うちもそこそこ高いですから辞めた方がいい。もっと安いところを探すのがいいでしょう。」とか、
或いは「お金が出ないのが一番だから、祈祷なんかしなくてもお参りして自分で頼めばそれでもいいんですよ。祈祷すりゃ必ずかなうという保証なんて全くないんですよ。」と言っています。
だってそれ、本当のことですもの。
つまりはよそのことを聞かれても、「私のほうではそこは考え方、やり方がこう違うかも…」というのがせいぜい。
疑問に思うなら当の先生に聞けばいいし、聞いても駄目ならやめるもよし、その人の勝手です。
ましてや、わざわざよそ辞めて、なるべくならうちに来てほしいとかは…一切思いません。勝手にそういう誤解している人いるの困りますね。
干渉しない主義。
メンドーだし。(笑)
ご自分の責任でご自分のお好きなようにすりゃいいというのが私の考え。
よその宗教の信者から「でも、そんなこというけど、あなたはご自分の宗教を人に説明する義務があるんでは?」と言われた人がいましたが、「話しますよ。あんたが本当に聞きたけりゃね。」と返しました。
その人には「お布施出しても聞きたいなら教えます。」といっておいた。
あんたホントに聞きたいの?
2時間でも3時間でも無料となればいくらでも聞いてくる。
お金取りますよと言うとピタッとやめる。
わたしゃそこまで閑じゃない。ただの揚げ足取りや冷やかしに付き合うのはごめんです。
もっとも私は揚げ足執りにくいですよ。
議論して「そこはおかしいでしょ」とか言われても、「おかしい?
ま、そうかも。」でおわりです。私は絶対的に正しいことなンか何一つ知らないと思っていますので気楽なものです。
でも、そこはお前さんも同じじゃないの?
「私が絶対正しい」なんて言う奴はもっとも負かしやすいね。
で、私に亡くなった方を供養しろと言われれば当然天台流です。
そもそも、そういう各々方は私の寺の信者ではないので、私の考えでどうしろ、こうしろとさしでがましいこと申し上げること自体が変ですよね。
「立位置」決めないで聞くのも間違いだが、そもそもそれに答えてもの言う私も間違いです。
私の信者さんなら私の指導で当然でしょうけど。
そこのところはっきりしないと私も変なこと言ってることになりますので、信者でない方には冷たいようでも悪しからず。
でもね、それも私流の誠意なんです。ケジメです。
だからたのまれれば、何事も前向きにてホイホイやるわけじゃない
そこはお許しあれ。