金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

歌舞伎マハーバーラタを見て

昨日は私の弟子で今は教会主管をされている方ご夫妻の御接待にあずかり、歌舞伎「マハーバーラタ」を見させていただきました。
私としてはマハーバーラタピーター・ブルックの監督した劇をテレビで見て以来です。
内容はまあ歌舞伎座へ行ってみてください。とてもよいと思いました。話が長いので見るほうも大変だけどね。
でもその中でよくダールマという言葉が使われていた。
仏教でダールマというと、宇宙とか法界、真如…というよりなんか「宿命」みたいな意味で使われていました。
これに対して歌舞伎では出てこなかったけど、よくいう「カルマ」という言葉がある。業ですね。
よく似た概念ですがカルマである業は自分の身口意が作るもの。ダールマは使命として与えられているもののように違いを感じます。
なんかインド思想って基本的に自分の宿命みたいのを受け入れる生き方を提唱しているんだなあと思った。
こういう生き方だとカースト制度も、宿命ということになるのかも。
こういう生き方ってある意味、いいとか悪いとかの意見は別にして楽なのかもしれません。
実際テレビでインド人がそう語っていました。
カースト制度は実に良い制度である。」と。
その理由は前世の業が悪ければ低いカーストに生まれ、良ければ高いカーストの家に生まれるからわかりやすいのだと。
この考えはかなり日本人にはショッキングかもしれないのだけど…
宿命だと言えばあきらめられないこともない。受け入れる以外ない。
仏教の場合はカルマと前世からの宿命や役割を明確にわけていない。
人の宿命もカルマによって形成されてくる。
ただ、仏教は未来志向が極めて強い。
伝統的なインドの考えでは、どちらかというと過去を知って未来を予測し、受け入れる。
仏教的には過去のカルマはどうあれ前を向いて生きていくこと以外ないという教え。
つまり「今が何よりも大事な点」は大きな違いがあるかも。
 
でも実のところは釈尊も明確にカースト制度を否定していないようです。
「真のバラモンは生まれによるものではない。その行いによるのだ。」とは言われているが、バラモン自体を否定している訳ではない。
人には差異などない。シュードラバラモンも一切関係ない。みな平等なんだとは言っていない。
ブッダがいわれたのは人は自らが作るカルマによるということ。
たとえば「十善を修めれば王となり、十悪を修めれば魔王になる」とも言いますから、過去の行為が反映すると考えているのは仏教でも明らか。
すべてではないけどブッダも人がいかなる環境にに生まれ育つかにも多少なりともカルマはかかわってくると感じておられたのでしょう。
人が生まれながらに平等なのは仏性を宿すという意味では仏教のテーゼ。
でも人の実際のあり方はそうじゃない。千差万別。千変万化。
まあ、「三種世間」の中の衆生世間とか、国土世間という奴ですね。
平たく言うなら「いかなる人の中に生まれるか」、「いかなる国に生まれるか」です。ここにカルマがかかわらない道理はない。
本当の仏教はバラモン教との差異を明確に研究していかないとわからない部分が多い。
今でもインドではブッダの教えもヒンドゥーの一派と思う人さえいる。そしてそれは捉え方では単純に間違いとも言い切れない。

それに比べれば、今の「人間死んだら終わり」の仏教なんてヒンドゥー以上に仏教から遠い考えだと思うのです。
輪廻の否定はカルマの否定に他ならない。
仏教でも何でもない、宗教ですらない。
まあ、いってみれば科学一辺倒の概念が生み出した日本製のニューソートです。
そういう意味では歌舞伎マハーバーラタでも見た方の方がまだ仏教の学びにはるかに近いかも。