でも一方で花と水を盛った「花水器」という法具を使う方法もある。
此れだと如法供よりより本当に華水供という言葉にふさわしい。
しかしながら、そんなのは本来の意味を失って近代になって考えたものだろうと思っていましたが、…さる聖天様の古寺で昔からのお次第をお伝授していただきました。それは古いものでしたが、供物はまさに水と花しか上げないんです。
これぞ華水供!
「なるほど、古いものもあったんだなあ」と認識を変えさせられました。
確かに今仏具屋にあるような華水供の道具ではなく台付供皿のようなものでもいいんですね。
あの華水器と言っている仏具自体は最近のものと思う。もしくはどっかのお寺で使っていた古い華水器をモデルにしたんでしょうね。それが定型になったんでしょう。
そこのご住職は頻繁にそれをするらしく、聖天様がたくさんいらっしゃるのでほうぼうに華水の器がお供えしてありました。
まあ、在り方は違うでしょうけど聖天様に水とお花をお供えするのは家庭でもされていることですね。
では家庭で上げるのと密教作法ではどう違うんでしょう?
「要は花と水あげりゃいいんでしょ。同じことだ。」というけどね。
そこは一般家庭でも水と花あげれば「華水供」と一緒というのはチョッとばかり次元が違うと思います。