金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

片意地も大事かも

私が密教行者に成ろうと志した時の話。
父はわたしがそういうことができるのか師匠に聞きに行きました。
父としては会社をしていたので継いでもらいたかったんでしょうな。
大きくはないのですが国鉄の車内装飾の会社でした。
国鉄だから父は絶対なくならない手堅い仕事と思っていた。
でもその後,JRになって吸収されて無くなりました。
なんでも絶対になくならないものなんてないね。

その頃から会社経営なんてまるで興味のない不肖の息子です。
でも父も祖父の「イザナギ流」を継承しなかったからね。
祖父はわざわざ昔、愛媛から高知の物部村に習いに行って太夫していたそうです。
だから後を継がないのはおあいこかも。
で、師匠の答えは「わからない。」でおしまい。
「お前の師匠は先はわからないといっていたぞ。そんなものになるのか!?」と怒られた。
まあ、でもこれ親としてはそう言うのもわかるけど、師匠の言うのも当たり前だと思うのです。
ラーメン屋だろうが漫才だろうが先はわからない。
サラリーじゃないからね。
そこで私は当時有名な霊感者な方々にも聞きました。
だれ一人「あなたはできます」という人はいなかった。「やめなさい。なまなかではない。」とばかり。
「あんたには絶対に無理!」とハッキリ言う人もいました。
それでバカだから逆にますます「やったれ」と思いました。
私は強情というか、片意地なんですね。
一人だけどうしてもなりたいなら今のままじゃダメ。私のところに来いという先生もいたけど行かなかった。
師匠を替えるは毛頭なかったから。
誘ってくれたその先生は翌月亡くなりました。

まあ、でもそういう片意地で40年近く今日までなんとかやってきました。
そう思えば恐縮ながら「苔の一念、岩をも通す」という言葉もあるし、片意地や強情もある意味、大事かも知れないと思うのです。