金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

煩悩無尽誓願断


四弘誓願に「煩悩無尽誓願断」というのがあります。
「煩悩は無尽なれど誓ってこれを断たん」と読みますが…
煩悩を絶つのが仏教の目的?でも「煩悩は限りなくあって断ち切れません。」と言っている訳なのですね。
大乗仏教のお釈迦様はあえて煩悩を絶たないでそれをよすがに娑婆の教化をされた。
「往来娑婆八千度」といいますね。
上座部仏教ではそうではない。煩悩は断ち切れる。阿羅漢に成れるといいます。でも大乗的には阿羅漢は無色界に転生するので本当は滅尽しないという。無色界の業が尽きれば輪廻していく。
無色界には微細な物質と精神活動があるのでカルマはあるからです。
いわゆる「変易生死」ですね。
上座部ではこれは言わない。
だから煩悩を絶つのが大乗仏教の目的ではなく、煩悩を断っていこうとする生き方を生きるのが仏教の目的なのだと私は思っています。
煩悩なんてなくなりゃくなりゃしない。精神活動があれば阿羅漢だろうが菩薩だろうがそれはある。
煩悩があることは生きている証拠。
煩悩を断つことが仏教のは目的はなく、それが大乗仏教の生き方なのだと思うのです。