金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

聖天様はアホな人が好き。

古来、聖天様は人の歓ぶのを見て喜ぶので「歓喜天」といいますが、この人の歓ぶのを見て喜ぶというのは結構難しいというか面倒もあるのです。
サプライズ好きな人みたいなもので「うんと喜ばせてやれ」というサーヴィスの塊みたいなのが尊天の性格なのですが、世の中に往々にいるそういう人によくあるように相手が喜ばないと面白くないんですね。
そこはとってもわがままな神様です。
だから天尊は喜ぶ人が好きなんですね。斜に構えて辛気臭い奴は大嫌い。
怒りだすことさえある。
聖天様に可愛がられたいなら些細なことでも喜ぶ癖をつけましょう。
アホらしいですか?
ある意味、アホにならないと駄目。
聖天様はそういうアホが好き。
利口ぶったやつは大嫌い。
ご利益受けながら自分の自慢ばかりしていばったり、偉そうなこと言う奴見ると痛い目に合わせる。謙虚さを失った奴は大嫌いなのが聖天様。
そういう人は私は師匠の寺で修行時代からいっぱい見てきた。そういう人はご利益もらって…自己過信して傲慢になり、聖天様から離れてそして皆滅んで消えていく。
神様なのにそんなのありなんだろうかと思うでしょうけど・・・いいんです。
それがそのまま大悲の方便というものなんですね。
天尊は権現だから、ことさらにそうあるのです。
そうじゃなきゃ欲張りのかたまりみたいな人間のお相手なんか普通の神様があほらしくてしていられません。
だから聖天様は難しい神様でいいんです。
罰があっていいんです。罰がなくっちゃ駄目なんだ。
罰が嫌だというのならなんでもありがたく受けさせていただく、そいいう聖天信仰じゃないとならない。だから喜ぶ心忘れちゃいけないんです。
本当の感謝とは喜ぶことです。
それは嫌じゃ。これは嫌じゃ…なんてわがままなお姫様や若様みたいなこと言ってたら終いに「そうかい。いやなら辞めやがれ!」と土台ごととひっくり返します。
それで元も子もなくなる。

そこが大荒神たる聖天様らしい一面です。
「普供養偈」にありますよね。
「一々諸塵皆実相」です。「法界即是諸妙供」でしょうがね。
神様は愛の塊だからバチなんてないって言うのは薄っぺらい奴が言うことです。
慈悲があるからこそ、バッチリとバチもある。
バチも大慈悲の中です。大慈悲というのは表面ずらだけじゃわからない。それが大慈悲です。
聖天様を信仰していくといことのはそういう神様と肩組んで人生をずっとずっと行くということ。それを忘れちゃいけない。