金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

愛染様のご利益は「信頼」

私の師匠のお寺には慈覚大師御将来型の聖天厨子というのがありますが、あれというのは実は愛染明王の宝瓶の形なのですね。
初めて見た時は何かと思っていたけど帛帯があるのでわかりました。
男天女天双身ともに聖天の本地はと言えば愛染明王。そういう思想があります。
         拙寺の愛染明王像
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愛染明王は極めて密教的ですね。個人的にも大変好きな仏様です。
でも、長年拝んでいるけど私的にはあんまり世間でいうような現世利益的な感じがしなくて、どちらかというと拝むほどに自行の仏としては非常に深秘の尊なんだな…と感じてきました。
ちなみにこの方、拝むなら金剛界立ての修法の方がよりしっくりきますね。
やはり金剛界系なのでですかね。
拝んだ感じは自分で拝んで自分で喜んでいて、極端に言えばまるで自受法楽みたいな感じ。
だから、あまり今までは正直な話、縁結びとか良縁とかの祈祷頼まれても、これって…ほんとに愛染様でいいのかなあって感じでしたが・・・。
でも最近になって急にググッと愛染様が近い感じになりました。
20代から拝んでようやく近くなるなんてねえ。どういうこっちゃ?
でも、仏様によってはそんなのありますね。
もっとも愛染明王は本尊じゃないので、そんなに徹底的に打ち込んでは拝んでこなかったというのが正直なところ。
愛染様が近くなったところでハッキリしたのは、よく言うこの方が恋愛の仏だというお話です。
実際は「ほれた、はれた」の恋愛そのものというより、人と人の理解をつなげるのがそのお力なのだなあと最近思うのです。


一目ぼれも結構だけど、一目見たその日から心が火のように舞い上がる…なんていうのは、実はあまり愛染様的なご利益じゃないと思うのです。
恋愛もつまるところ大事なのは「信頼」。それでしょう。
ズバリ男女の愛欲だけでは人間はそんなにながく付き合っていけないと思いますよ。
考えればすぐわかります。
夫婦だってそうじゃないですか?
夫婦生活が関係なくなる年齢だって夫婦は夫婦。それは「信頼関係」ですね。
理解しあっている掛け替えがない関係だから続いているのでしょう。ま、男女のはじまりは性的関係から発展していくのは当然ではあるけど。
でも、信頼については男女関係でなくても、おしなべてあらゆる人間関係に言えるところです。
良き縁の正体は「信頼」ということですね。
愛染明王は「信頼」を培う仏。私には愛染明王は愛欲の仏だなどという世間的なものいいよりその方が本質的にしっくりきます。
となると聖天様の縁結びの御利益もまず、「信頼の確立」ということで無いといけないのではないかしらと思いますね。
そもそも「敬愛」というくらいですから敬う、尊敬がなくては駄目。馴れ馴れしく図々しく人を自分のものみたいに思う。それは駄目でしょう。
敬うのはハッキリ言うと距離を置くこと。どんなに好きな人でも究極は他人ですから。私は私、貴方は貴方…その考えは常に必要です。
一方、愛はなにより気持ちを共有すること。人にプレゼントしたり、優しくすること以上にそこが大事です。
真逆に聞こえるけどこの両方が大事。
そのバランス崩すと・・・
そこから人間関係は駄目になる。