金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

凶殺と方位神

凶殺つまり、気学の五黄殺や暗剣殺といったものと。大金神や歳破神のような方鑑の神々は違う存在だと私は思っています。
五黄殺などは方位の自然現象的な感じですが、金神は神様の一種。
昔私が20代のころこんな相談がありました。
ある老舗の若旦那が亡くなったんです。それで奥さんが後をやることに。
でも死んだ亭主の兄弟が店を欲しがって彼女の排除を企てているとのことでした。
表向きも争っているんですが、呪術的な攻撃もしかけて来る。
敵側の占い師が一計を案じて、そこの家の金神方にどんどん生ごみや汚いものを捨てさせたり、埋めたりするいわゆる方位術でいう「造作攻撃」をかけてくる。
そこで未亡人方ではそれをおおいに心配して方位法除けしないと…ということで相談がありました。
私はその時「ほっておきなさい。八将神や大金神は暗剣や五黄殺と違って方伯神ですから、きっと汚物を捨てた人間のほうに祟りますので」と言っておいたんです。
案の定、しばらくして交通事故に遭って大変な怪我をしたのは当の敵側の人でした。
私的に思っている種明かししますと・・・・方位神となっているものはもうそういう方位に対する思いが集合無意識が人格化して働く存在なんですね。
一方五黄殺なんてのははじめから神様にはなっていない。長い年月がたてばまたどうだか知らないけど・・・人口に膾炙してから浅いのもある。
だから働き方が違うんだと思うのです。人格的には働かない。祟るのではなく純粋に方災です。
昭和の霊術家で名高い宇佐美景堂先生も方位の神々というのはやはり一種の神格の働きであるように言っていますね。
逆に言えば神様にしてしまえるなら、意思の疎通が撮れるので扱いはある意味、楽ですね。でも人格とした働くとなると怒らしたりすることも出てくるので良し悪しです。