金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

血も涙もない私

今、在家で先行は得度希望の方ですが行をしている方がいます。
老若男女いろんな方がいるので三千仏礼拝ですが最長一日100回30日で終了としています。足の悪い方もいますので座礼もオーケー。
勿論本来の規定通り三日で三千やる人もいます。
もっともプロになるならそのくらい三日でできないとお話になりません。仕事しながらですから時間的に無理とかはあるのでそういう風にしています。
そんな中で旅行にいったので「先生に是非」と思ってお土産を買いましたという電話をもらいました。
この時だけじゃない。
この方、普段からなにかにつけ私に身に余る良いもの、素敵なものをすご~く沢山くださるんです。
特にサプライズなプレゼントが大好きな方なんですね。
人を喜ばすのが大好き。それはよくわかっていますが…。

「行はどうしたの?休んだの?」
「ええ、休んで行ってきたんです。」
!!これは、言語道断です。
行を物見遊山で休むなどとんでもない。
直ちにすべてやり直し!それが嫌なら行はもうやめ。といいました。
日頃なにをいくらもらおうがこういうことは容赦なし!

「ええーッ・…やりなおしですか・・・」絶句
それで申しました。「あなた、私を血も涙もないこと言う人間と思うでしょう。
でもね、行はそういうものです。そして師匠とはそういうもの。お友達やなんかじゃないんだから。
第一、そんなお土産などそんな行の最中に買ってきて欲しいとは思いません。
失礼ですが勘違いしてるんじゃないでしょうか?
一緒に御茶飲んで楽しく世間話とかがしたいんなら弟子なんかにならないこと。
師匠はできることなら一緒にいたくないくらい窮屈でいいんです。
それでもありがたい存在。いてほしい不可欠の存在。そういう存在が師匠なのです。
死んだら心底悲しいけど…どこか、なぜか緊張が解けてホッとする。極端に言えばそのくらいのものでいいのだと思うのです。
全然フレンドリーじゃない存在。
だから、私を師匠にするなら、そういう行にかかわるところにおいては私は血も涙もない人間と思いなさい。」といいました。
わかりました・・・と言いながら、また泣く泣くやり直すそうです。
でも。この方は根性はありますね。
そう、でもそのくらいでなきゃね。
行に成んない。まして座礼ですから。
時間かけりゃ誰でもできます。
こんなの形から言えば行の中にも入りません。
今のところ、新しい人は基本的に在家さんだと思うからそうしている。
だけど、それを怠けちゃもうやることなんてない。
私が一番最初に得度を決意した時の師匠の言葉は、
「信者さんとしてなら今まで通りに待遇はよくしてあげるけどもうそうじゃない。弟子になった以上はそうはいかないよ。」でした。
師匠はとても近くて、とても遠い存在。
それが師匠です。

最近はいろんな人いますから、中にはこんなこと言おうものなら「いじめられた!」とか「先生はきっと私のことが嫌いなんだ!」とか・…思う人もいると思います。
実際そういう人もいました。
果ては「パワハラ」だとか言い出しかねんわね。
やってられんわね。
この忙しいのに自己満足の「行者さんごっこ」なんかにいちいち付き合ってられません。
邪魔臭い。
やるなら本気でやらないといけないのです。
そうでないなら行なんかトットとやめることです。
何よりも自分のためにする行なのですから。

逆に家族の反対押し切って手伝いなんかに来て下さる人もいる。
家族にどう言うのか…それは人それぞれですが、宗教は人に押し付けられません。私としては大丈夫なの?って感じです。
家族から見れば修行に行くのも、ゴルフに行くのも、パチンコに行くのも、コンペに行くのも同じ「道楽」です。
せっかくの日曜に家族を措いて出てきて何かエライことしているように思っても一切通用しません。
まして何日もどこかに籠って念誦するとか護摩焚くなんてレジャーの極みです。それも家族抜きでしょ。
「お金も暇もかけてあんただけやりたい放題でしょ。」と不平が出るのは火を見るよりも明らかなことです。
「おとっつあん」が洗い物の一つもしてくれた方が家庭でははるかに家族の株が上がります。
他所のお掃除して修行になるならうちでやればという人もいますね。
それ想うのも仕方ないね。
そういうことを理解してもらえるよう何とかするのも行です。
それができないならもうやめることです。
お釈迦様のような王族とか平安や室町時代の貴族じゃないんだから、食い扶持や財産を家族に残して出家なんてありえません。
責任は責任。
家族が先にあるなら行の方を辞めるべき。
私は「行の方が大事」などと言ったことは一遍もない。
全て等価値です。行が大事なのはご本人だけ。
どうすべきか。
それは貴方が決めること。
それは自分がしたくてしていること。
行とはそういうもの。
それ以外何にもない。
血も涙もない私の御話でした。