金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

度胸、愛敬は生きる智恵

古いようだけどいつの世でも「男は度胸、女は愛敬」だと思う。
不変の真理。
此れがないのは男でも女でも花の咲かない木と同じくらいつまんない人間になると私は思っています。

最近は性差の話をするとすぐに怒られてしまいますが、実は此れってどっちも仏教精神に通じる心だと思うのです。
度胸も愛敬も自分に執着しこだわっていたら出てこない精神です。
ある意味「無我」でないと。
…という訳でとりわけ男の子は度胸を養うにはやはり全く孤独の時期が必要なんですね。
一人でなんでもやってみるチャレンジ精神。
それを心配性な母親や過保護な父親がついていてだいなしにしてしまうのはよくある残念な話。
凡そ少年の敵は間違った母の愛です。
愛というよりいつの間にか、これが執着になっている。
男子の教育たるやは一度は孤独をこそ愛すべきですな。
いっつも誰かが寄り添っていたら絶対駄目になる。
古いですか?
子供さんにものを聞いているのにすぐに親が答えちゃうケースよくありますね。
よくないですね。
私の方でも「あんたに聞いていません。子供さんに聞いてるの。だから黙ってなさい!」というけど、癖なのかなかなか止まないですね。そういう親御さんは。
これじゃ度胸も愛想も育たない。
なぜならどちらも人生を生きる知恵、生き残るための武器そのものだからです。
フォローなしの実践なくして育つもんかね!

昔、占い聞きにに来たゲイバーのママさんに余談でこの話したら「私はどっちが必要ですか?」っていうんで「あんたは愛嬌も度胸も両方でしょうよ。」って言ったら「そうよね…オカマも度胸よね。」って妙に納得された。(笑)