金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

准胝仏母のデトックス

准胝独部法の伝授者は皆それぞれに励んでいるようです。
はやくも10万遍終わった方も。
大呪でやっている人もいる。
そんな中で咳が出てきたという人もいます。
准胝法では夢中に黒い飯をはくという。これは悪業の象徴です。
だから何か悪いものを出そうという働きはあるんでしょう。たぶん。
准胝尊にはそういう毒だしの作用がある。
変容が起きるとき必ずそれは必要。
必要ですが…つらいことも出てくるかもしれない。
体だけじゃなく人生百般において。
悪いもの吐き出すわけですから。

だから「この独部法は在家の方でも授ることができる入りやすいけど、なかなか厳しい法です。」と書葎のご主人は言っていた
「そういうのやると、どういうご利益あるのですか?」と聞く人もいたけど、いわゆる近々に結果として「こんないいいことあるからやりなさい。」というようなもんじゃない。
自分が変わらず身の回りを変えるんじゃなく、自分が変わってから周りも変わる。「自行」とはごくわかりやすく言うならそれです。
ご利益本位ですと「自行」はすべて失敗します。
なぜならはき違えてるから。
山ほど真言唱えたけど自分の希望が叶わないという人いますね。そう「行」はそういうものじゃない。
行は祈願と別です。だから、例えば女性にもてたいと思って愛染明王真言念誦を30万遍やってもおそらく絶対にもてるようになりませんよ。
金持ちになりたいから聖天様の真言10万遍唱えても無駄です。
そういうのは真言の替りに実は「もてたい」とか「金欲しい」と言っているのと変わらないからです。
真言になっていない。
むしろそれは妄念の塊になる修行です。

はっきり言って私はこれこれこういう行をしたら祈願が叶ったなんていうのは聞いたことないです。
それは慈救呪十万遍でも同じ。四度加行でも同じ。四国遍路も大峰修行も全部そうです。
私は四国遍路行くときも師匠から「祈願は天下泰平、万民快楽のみ。でないと修行にならないからね。」と厳命されました。
だから時々訪ねてくる「なんとか修行して祈願をかなえたい」という方には言います。
「それ方向違いですよ。」
修行は祈願がかなったら終わりじゃないよ。
だったら偶然祈願がかなったらもう修行しない?そんなの初めから修行じゃないです。
はなからニセモンや。
菩提心がないよね。

「自分を変えよう」という心、言ってみれば菩提心とはそれです。
「解脱」という方向のベクトルに向かって少しでも近づくために自己変容する心です。私はそう解釈しています。
その「菩提心」が前提でないといけないし、意味がないのはすべての行法に言えることと思います。