金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

猫話2

この間、猫ちゃんお話をしてくれた信者さんがまた続きの「猫話」してくれました。



『1997年頃のことです季節はちょっと寒くなってきた10月ごろだったように思います。 
階下の母親の部屋から「ケイちゃん。ちょっときてー。早く!」というような叫び声が。 
なにごとかと思ってねぼけまなこをこすりながら母の部屋にいくとそのころ我が家の近辺で子供を産み、うろうろしていた猫一家のオスの茶虎の子猫が母の膝の上で息も絶え絶えというかんじでした。
頭はこぶみたいにぽこっとふくらんでいました。 
あとで獣医さんがいうには、大人の猫に頭をがぶっとやられ傷はふさがったものの中で化膿していたということです。

母が朝雨戸をがらがらっと開けたところ縁台の上にその子猫が寝かされていて、母猫含む大人の猫が取り囲んでいるという状況だったようです。 わたくしがその子猫を膝の上に乗せているときも母猫が窓ごしにのぞきこんでいたのをおぼえています。
 母が「どうしたらいいだろう」と聞くので、「どうしたらいいだろうって獣医さんにつれていくしかないだろう。 このまましんじまえってわけにはいかないだろう。」というと、わかった恵ちゃんがそういうならそうしようというような母の反応でした。

いまから思うと、母は獣医さんにつれていくことは瞬間的に決めていてその障害となるのはわたくしの双子のヨウコを、まずケイイチを味方に引き込もうそうすれば大丈夫だと計算して動いていたと思います。
やがてヨウコが起きてきて、「今日、獣医さんにつれていってあげて、 おまえがやらないならおれが休んででもやるから」というと「わかったよ。やるよ。」という反応でしたから、母の計算は正しかったわけです。
夜 どうしたときくと入院させてきたという母の返答でした
わたしたちとしては一週間も入院させればいいだろうという素人考えでしたが、獣医さんはとんでもないといったみたいです。
その子猫に「ピグモン」という名前をつけていたのですが、獣医さんのスタッフからピグちゃん、ピグちゃんと人気者だったみたいで
獣医さんから この先このこをどうするんですかときかれ、うちでは飼えないので、のらちゃんとして外に出しますというと、
このこは器量がいいからかならずもらいてがつく、今日までの治療費を精算してくれれば、あとはうちのほうで飼い主をみつけるからということで、「ではお願いします。」ということでジ・エンドとなりました。

いまから思うとその時点でもらいてはいたんだろうな、ただそれをいってわたしたちにへんな欲だされてもなということだったんだろうなと思います
後日談としてそのピグちゃんのきょうだいでおすの黒猫の「クロちゃん」というあたまがちょっとわるい子ねこがいてそのこをうちにおいていってねこちゃん一家はすがたを消していきました。 たぶんこのこはこのうちのお世話になるしかないなということで 

それで「クロちゃん」を夜家の中にいれるというかたちで飼うようになったのですが、二歳ぐらいのとき帰ってこなくなり、
それで18さいまで生きた雌猫の「もも子」をそのころ二子玉川にあった「ねこたま」でもらってきたのです。』



消えていったあの猫、この猫。猫も人も同じですね・・・。