金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

聖天行者になるには?


聖天行者になりたいんですがどうしたらなれる?という質問。 
奇特なことです。
ウ~ン、でも縁のものだしこうすりゃなれるってもんでもない。と言ってしまえばそれまでですが・・・

第一、公務員になるとか、政治家になるとか、一流会社に入るなんてというような枠組みがないんで、一応、得度して密教修業して、聖天拝めるようになっても信者が付いてこなけりゃそれでおしまい。
そういう意味じゃ芸能人になるには?に近い。芸能プロに所属しても仕事こなきゃ開店休業でしょう。同じことです。

でも、これだけは言えるという点はまず聖天様自体が好きじゃないとダメですね。これは何様でも同じだけどね。
私の場合はどちらかというと縁だったもので。最初はそんなに聖天様が好きというわけじゃなかったんですけど。
とっつかまっちゃった感じ。

でも自分で始めから聖天行者になりたいなら聖天様に惚れてないとダメ。
聖天さん拝んだら儲かるぞ~なんて思ってやりたいなんていうのは結果的にエライ目に合うだけです。

私なんかご利益ほしくて始めただけでしたからずいぶん叩きのめされました。
もう、聖天さんなんてコリゴリと思うほどいろいろ起きてきて…でもそうやって叩きのめされてようやく本当に最後の最後にいくぶん信仰らしいところが見えてきた。
でも、そんなのはずーっと後のこと。何もできないくせに、弱いくせに、強情で自己本位で傲慢不遜な私のその部分がぐっちゃぐちゃになるまで叩きのめされた感じ。
たとえば「世のため、人のために信仰する」なんてのが全然わからなかった。
「バカか。そんなの必要ないじゃないか。困った奴は自分の問題なんだから自分で拝めよ。人の分までなんか知ったことか!」と思っていましたので。
私の良い点はそういうことを「そうですよね。自分じゃないよね。世のため、人のためですよね~。」なんてのは欺瞞だとはっきり言ってしまう点。
「そんなのは嘘だ‼そんな歯の浮くようなことは絶対言いたくない!」という徹底的な利己主義とクソ強情さです。
ここが日和見的でいい加減なら打ち据えられようもなかったかも。
でも自分に正直という点は正直でしたね。
今でも言いたいことを言ってしまうのはそのためです。


それでそんな馬鹿な弟子の面倒見てくれた師匠とボコボコにしてくれた聖天様のお陰でどうにか初めて聖天様に手を合わせる資格ができた。その辺で初めて答えてくれる。そういう意味では聖天様に出会って初めてまともな人間になった感じ。そこまで徹底して打ち据えるのは聖天様の大きな大きな慈悲ですね。

それと毘那夜伽に耐性がない人はダメ。
こればかりはどうにもならない一番難しいところです。だんだん欲が出て道はずしたり、突如傲慢になっておかしなことしだす人。
聖天様やろうとする人に多い悪いパターンです。
これはわずかな邪心でも毘那夜伽が載ってくるのでそうなるんですね。
魔に魅入られるというやつ。
だから普通の世間的な欲望にまっすぐ乗るような人は無理なんですね。
次善策としては軍荼梨明王の信仰をお勧めします。
信仰といっても道を外さないように頼んでおくとか、頼るとかではなく、自分のお目付け役として軍荼梨さんを意識して生きるんです。
心に軍荼利様を置くんです。これ大事だと思います。

もちろん、財、色、食、名、睡の五欲は人間だから誰でもあるにはきまってるけど、どこまでもそれで終わるのはダメ。

それを超えるものがないと難しい。
志ですかね。
私にどれほどの志があるわけじゃないけど、お金も名誉もあればあるほどいいとも思わないし、従ってそれをあくまで追求するという気持ちもない。

あくまで良いものは自分に集中するとか、ため込んでいくとか。そういうのではなく、その分は周りに福分や恩恵が伝わるように生きないといけないな…という自戒をもって生きていこうと考えています。
いいかえると循環ということかな。
幸せは詰まるところ「し、あわせること」だと思いますので。