金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

仏法は百千万劫にも遭い遇うこと難し。


私は基本的に信徒辞めた人とは個人レベルでも、もうかかわらないことにしてます。
とはいえ、会えばあいさつ位は当然ですが。
個人的に付き合うことはしない。
いじわるとか腹が立つとかじゃないんですよ。
無宗教でも信仰が違っても初めから個人的付き合いは個人的付き合い。
それはそれでいい。
だけど仏縁でこられた方を俗縁に切り替えてしまうのはどうなのか?という思いがあります。
そういうグチャグチャはなんか大事なものと私的なものをないまぜにするようでそこがヤダね。
信仰の場にそういうなれ合いや済し崩しはあってはならないと思うのです。
そういうのは腐ったミカンのカビのように全体に波及していく。
整合性が失われていく。

本尊様のお客様のケアをするのが私の仕事。
だから本尊と関係ないならもう私も関わらないし、関わりたくないです。
辞めてしまった後で「実はこんなことが起きたんです!」と助けを求める人もいますけど、私の役割はもう終わりましたので…という感じ。
関わりません。
「じゃあ、一体私はどうしたらいいんですか?」といわれても知りません。
わからないです。関わらないということはそういうことですから。

仏縁って「百千万劫にも遭い遇うこと難し。」・・・でしょ。

それなのに、そんなに簡単に切ったものは,形の上でまた、講費はらってもらって結んだりしても、実質の縁は切れたまんまなのだと思う。
そうなればどうせまた辞める。
最早つながっていないんだから。
何度辞めて止めはしないけど・・・。
でもね、
私も本当はせっかく結んだ縁を切りたいとは思いません。

だからせめて「そういう軽い気持ちで講員とかになっては欲しくないなあ。」…と思います。
別に講員になったってご利益が増えるわけじゃない。それとこれは別です。