金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

飯縄の神歌


「父母降る我が身は神の社にていでいる息は飯縄明神」

飯縄法にはこういう神歌があります。
父母降ると書いて「チハヤフル」と詠ませる。
つまり我々の体は神の社であり、呼吸こそが飯縄明神であるというのです。これが飯縄の教えの究極といっていいと思います。
飯縄法のベースである「飯縄つちがねの法」でも息はとても重要な役割。

つまりは生きているということ、その力が飯縄明神とひとつ。
そこが究極的な教えです。
だから「生綱明神」とも書ける。いってみれば。「命綱」です。「いのち」をたまの緒といいますよね。緒も綱も同じものの表現。

息の出入りしているこのからだはお社だというのです。
口は神門です。
飯縄様は「その身そのままに肉の宮居ぞ。宮居穢すことなかれ。コトタマ穢すことなかれ。」といわれます。
息に音を伴えば言葉です。
良きことばをしゃべれということでしょう。
密教的に言えば口密が重いわけですね。
もっとも神体は意密、躰の所作はお社で身密ですから、勿論これも清浄に保たねばなりません。
飯縄様は「コトタマ」といわれ「コトダマ」とはいわないんです。
なんでか知らんけど…
濁らないことを強調しているのだろうか。
ヒンドゥーでは究極、神はマントラつまり音だという。
密教でも梵字仏のほうが仏像より本質だといいますから、そこは相通じます。