ウ~ン…でも、もともと鮎食べてたのは人間じゃなくカワウのほうなんですけどね。
そこ行くと、人間の主食は川魚ではないですし、鮎なんかは人間は食道楽のお金に余裕のある方々がめし上がる季節の風物なわけです。
まあ、漁業を守るとか言っているんで社会的に考えればそれも仕方ないとこと。殺さないだけまだしもとは思うけど、正しいこととか、まして正義なんかじゃないね。
これすなわち、あくまで自然界から分捕る人間の都合のなせるわざです。
そう思う一方、最近動物の権利(アニマル・ライツ)とか、さかんに言ってる人いるけど…私ハッキリ言って人間がそれ言うのはどこか無理があるなと思う。
だからこの際アユの権利とか言わないでおきます。一応は立場上、人間なんで。
昔、奄美大島で開発を巡る裁判がありました。
人間は被害は直にはないけど動物は大変です。
動物にも権利があるといいたい気持ちはやまやま、痛いほどよくわかるのですが。それはどこまでも我々の投影する「気持ち」であり、彼らは権利というものすらしりません。
知らないものは付与しようがない。権利といってて行使するのは自然保護運動の支持の人たちであり、動物そのものじゃない。第一、動物たちに言わせれば、そんなことを人間にいちいち決めてもらわなくてはならない筋合なんか毛頭ないのでしょう。
クジラの保護活動。大変結構。あれだけ大きな生き物が減っては自然界のバランスはおかしくなります。クジラの肉は美味しいけど食べられなくなっても全然かまわない。
でもかわいそうだから反対とか言うのは半分しか賛成できない。なぜなら鯨一匹いなくなるだけで何百億というかわいそうな海洋微生物は食べられて死なないで済むから。
そこはクジラびいきが過ぎます。
でもそれだけの生き物を捕食するからこそ彼らの存在は大事。いなくなれば海はどうなるかわからない。
そういう天敵がいないので増えすぎた神奈川県丹沢のシカはかえって食物が減少して、いまや全滅の恐れもあるという。
ゆえにオオカミを輸入せよという話すらある。
それはいまもいっしょ。
しかし、今や私たちは猛獣におびえる原始人ではない。
変わったのは我々のほうだけです。
文明を手にして自然界の弱肉強食の輪から離れられたのです。
この段階で私はただ厳然としてあると思うのは私たちが彼らを、ほかの生き物の存続を守っていく義務だと思うのです。
動物に行使できない権利など与えようとするよりも、
私はそれが地上で最も最強無比の動物の王座に至った我々、ヒトの自然に対して負うべき重大なる義務であり、天地から賦与された責任ではないかと思う次第です。