弟子ばかりの問題じゃないかも。
そもそも「弱将の下に強卒なし」といいますね。
そう考えてみればそんなこといっている当の私が一番駄目なんでしょうね。
これは最近本当にそう思う。
だからそれだけにまず人選はしっかりしないと余計そうなるかなと思います。
5年くらい前だけど「あ、羽田さんですか?私、仏教勉強したいんです。お弟子さんとかにしてもらたいんですけど・・・どうしたらいいんですかあ?」という早口の女性の電話。
「…別段しておりませんが、そういうことは。」(その頃はブログもしていない)
「え、そうですか?」
「羽田さんとこはわりと簡単にお弟子さんにしてくれるらしいから聞いてみてって友達がいってましたよ・・・」 誰だ、そんなこという馬鹿!
「はあ、確かに弟子はおりますが、それは信者さんの中から熱心な方でそういう希望者からなった人はおりますが、別に外部の方からはとっていません。」
「え、そうなんだ?…じゃ、まず、そこがどういうとこか、知りたいので案内書きかなにか送ってください。ちょっと検討したいんで。」
「・・・」
検討しないでケッコウです。
うちはあなたのことは検討しませんから。
第一弟子になりたい人間が師になるであろう人を「羽田さん」ていうのおかしくない?この調子で弟子になんかなられてたまるものか。
うちは生徒募集のなんとかスクールではありません。
あるいは「密教修行している○○といいます。今度ちょっと教えてもらいたいことがあるんですけど、うかがってもいいですかあ?」という人もいました。
「どちらで得度されたのですか?」
「え、得度とかはしてないんです。別に仏教徒とかそういうのじゃないんで・・・」
「何?仏教徒ではないんですか?」
何なのだろうね。この人。
聞いてみたらこの人に修行指導しているという人も僧侶でも何でもない。なんとかパワーヒーリングかいうのしている方だそうです。
「うちの先生はこのヒーリングも広い意味では密教だといっています。新しい密教なんです。でも、羽田さんがやってるような古い密教にも参考になるところが結構あるって言ってましたので、ちょっと勉強とかしたいなって・・・例えば護摩とか。」
「あ、そうなの。そいつはどうもご丁寧に・・」 やってられんわ。
こういう手合いは言って聞かせてもまずわからんわな。
あ~あ、最近よくわからんです。