癲癇のお子様のお話の続きですが…経過は悪くないようで一応安心しております。
「 羽田先生おはようございます。○○です。
先週金曜日に、退院後初めて経過観察の診察があり、病院に娘を連れて行って来ました。お医者さんに、経過は順調のようですね〜と言われました。私としては、お札のおかげだと思うのですが…。
今までの娘は、やはりなんだかおとなしいというか暗いというか、鬱鬱とした表情だったのですが、今は明るく活発な小学生らしい小学生になって、毎日を元気に過ごしております。
発作が無いことは勿論ですが、この活き活きしているところが、お札をいただいて以降1番娘が変わったところです。娘のこんな姿を見ると、一層勤行に力が入ります。ありがとうございました。
また話は変わりますが、私は手が震えることがよくあるのですが、(お伺いした折にも、それを先生からご指摘いただきました。)金翅鳥院をお訪ねし、先生の指先に掌を載せて以来起きておりません。なんとも不思議です。
とりとめのない話をしてすいません。
先生は、東北や関西をお巡りになっておりますが、もし、私の住む方面にご用がございましたら、いつでもクルマを出しますのお申し付け下さい。薫風晴天。合掌」
このお話、大変感謝してくださいますが、聞きよう次第ではとりたてて不思議なことでもなく普通といえば普通で医療がうまくいっているという考えもできますね。
まあ、お医者さんはそう思っていますね。
でもそれでいいのです。
そうでなくてはなりません。
この方のようにキチンと医療機関で医療を受ける前提なら話は分かりますが、中には医者に行かないで即祈願してくれという電話もある。
しかも症状はかなり深刻なのにもかかわらず・・・それ駄目でしょう。
まず医者に行くのは絶対に必要です。
祈祷というのは世にも不思議なマジカルな力をふるうというのではなく、「順世の法」といって世の中の習いの中で物事を解決していく縁をうごかすものなんですね。
ですから実際は「なんとか霊験記」に出てくるような、派手で奇抜な霊験談は面白いけど、そういうの本来的じゃないんですね。
縁のないところに基本的に霊験はない。
この「順世の法」という言葉は「大聖歓喜天使呪法経」に出てきます。
だから働いてもいないのにお金が儲かるご祈祷しても無駄だし、勉強もせず大学に受かるような祈祷もあり得ません。
そこを理解できないのは迷信の徒です。
ハッキリ言って信仰以前のお話です。