実は聖天様だけでなく天部のお像は基本的に在家にお祀りするのは過ぎたことです。
それを言うとよく商店などで大黒天を置いてあるがあれはどうなんだという疑問もあるかと思います。
買ってきておいてある。それだけなら置物と一緒です。
置物や美術品としてなら霊験も障礙もない。
古美術店などは障礙少ないのはそういうわけです。
でもまれに美術品としておいていても「・・・これ見てください。」と言っていわく因縁のついた仏像を見せられることはないでもない。
もともと祀ってあったもんだとそういうのもある。
だから古仏は必ず抜魂する。
要はどのように開眼したかで違ってくるのです。
ここ大事なとこです。
それが基本です。
だから本格的に密供などで開眼しないほうがいいともいえる。シロウトができることじゃないからね。
在家でお祀りするならむしろなら簡単なお参りで開眼したほうがいい。
基本的に祀った人が近いことできた方がいいわけです。
本格的に密供するなら年に一回くらいはそうした供養はしていかないといけない。最初したからそれでいいとは言えない。
ではこんなのはどう考えるのか?
例えば山奥に石仏の蔵王権現など開眼する。
この場合はもう修験道の守護神ですから苦労してお参りに来るだけでいいでしょう。毎年道具もって山奥まで行っての密供はいらない。そうでなく「行」で供養する。
そういうありかたもある。
一番いけないのは最初勧請して、あとはなにもしないでそのままにしておくというもの。
開眼料だけ用意すればいいと思うだろうけど、同じレヴェルの供養が毎年必要なんですね。
だから大変なんです。風水グッズなんかと違います。
占い師さんなんかで窮余の一策として、金銭的に困っているオーナーさんなどにやたら「天部の尊像祀るといいよ」とかいう人いますがハッキリ言って大変な間違いです。ろくに知らないのに変なこと言ってくれるなといいたい!
お札でお参りすべきです。
酷いのになるともううちにはご本尊いるのでお寺も行かないという人
祈る人が必要なの忘れています。お寺は常に拝んでいるから色々なものが浄化できる。うちじゃ無理でしょう。(もっとも何ひとつ供養らしい事していないお寺もあるようですけど・・・)
要するに功利的な考えでは到底無理ということ。勧請したりしたらかえってお金はうんとでることになる。
昔は豪商や名家ではお庭に天堂があり、守護神を祀る、それで定期意的に阿闍梨や神官に拝んでもらうそういう家もありましたが今はあまりきかないですね。
そこは霊能者は予知能力あるからどうなるかわかるので流石に占い師と違って尊像を祀るのは「…それはやめておけ」と勧めない人もいますね。
よくいう「稲荷の祀り捨て」というけど、祟って当たり前です。
お金儲けのために欲にまみれた心で外宮まで作る。それでもって事業やお店が持たなくなると放棄してしまう。
会社がつぶれたってお稲荷様は大事な仲間、メンバーです。持って行かなきゃいけないのに工場や敷地に捨てていく。
たいてい御霊箱の明神は呆れてお帰りになりますが、尊像でまつった場合は残りやすい。
なぜって具体化してしまったからね。
だから御霊箱の古いのはスカスカですが、荼枳尼天の尊像なんかは自然には抜けないで残っているのが多い。
それでも一応神主かなんか読んで修祓してあると抜けているのもあります。神主は仏像はあつかわないから、尊像は置いていったんだねと思うケースもある。手に取るとうまく抜けてるのもある。
祀り捨ての外宮なんかに眷属が一人だけでおもりしてる。ずーっとそうしてるケースもある。
そういう眷属は人間に対してすごく怒っている。不信感です。
これがひどいと祟り神になる。
稀に「全然商売駄目です。霊能者に見てもらったら、前に商売しているときに、置き去りで祀り捨ててしまったお稲荷さんの祟りだそうです。、そういうので困っているから是非鎮めてほしい。」というケースもくる。
そこに反省がないならやらないですね。そうでないなら少し痛い目に遭った方がいい。
その霊能者にしてもらいなよ。
私の知ったことではない。
悪いのは人間のほうですから。
軽く尊像など「もう、これ祀らないから持って行ってくれ」という人もいます。
うちは廃品業者とちがいますけど?
そういうのも供養して、志納料を添えてあいさつして納めるものです。
ひどいのになると麗々しく「これあんたに差し上げます」ときたもんだ。
捨てて祟るといけないからくれるのですか?ノー・サンキューです。(笑)
生きた仏さまとして勧請したならケアのほうが大事なんです。
わかりやすくいえばそこの家族の中にいらっしゃるのだから仏様の生活のケアがないといけないということ。
だからまつればオーケーじゃない。
まつってからが大変。そこのところ踏まえておくのが大事だと思います。
だから基本的に天部の尊像を在家の方が祀るのは私は基本反対ですね。
得度して修行でもするなら別だけど。
在家でまつるならさきほどいったようにあまり本格的には密供などで祈らない。
大概祀っていいことよりもなんにもないか、むしろなにかあれば大変な目に遭っている。
仏さんはまごころで迎えるもの。欲で迎えるもんじゃない。
毎年同じようにするなら別だけど…多くは無理でしょうから。
ましてや信者さんでなく開眼だけ頼んでくる人はお断りしています。