よくできております。
中は聖天様?とんでもない。二根大根です。これも至って細かくよくできている。
お守りなんでしょうね。
くれた人は元信者でやめていただいた人。
エーッツ何それ?と思うかもね。
勿論辞めてもらったのにはそれなりの理由があります。
一番の理由は兄弟弟子の寺でお墓買ったから。ついでに色々相談もしたらしい。
「んなら、私降りますので、もういっそ全部見てもらいなよ」ってことです。
両方で指導者ヅラしてグダグダ言ったら、間違いのもと。「船頭多くして船山に登る」結果となる。
そういうのは前にも経験しているのでさけたいんですね。
わたしね、信者の取り合いなんかしません。メンドーだし
「もう、どこへでもいくがよいわ。」というのがモットー
うしろは振り返らない主義ですので良い感情も悪い感情もそこでリセットです。
たとえば「先生私ね、言いにくいんですけど・・・どうしても義理あってある新宗教に入らないといけないんですけど・・・」という人。
そういう場合は「ああ、そうしたらいいですよ。でもうちの講はやめてくださいね。」という。
義理で宗教はいるような人にはこちとら用はない。
とっととおやめ遊ばせ。
同時にお付き合いでうちに入らせていただきたいというのもお断り。
その義一切御無用、メイワクです。
付き合いの人と本気の人と分けて付き合うほど器用じゃないんです。
そもそも信者には信者の自由意思がありますから。行者の綱引きの綱じゃござんせんしね。
実はこの人は人がいいのか、アホなんか。以前もだいぶ悪いインチキ行者に騙されてほうぼうお参りに行けと言われて迷わされたそうです。
ばかばかしいことにソイツの分までそのつど旅費を払わされていたらしい。
結局上手い事言って「こずかい」や旅費出させて旅行してたんだね。
とはいえ、そこにいくとこの寺の住職は霊能者で、しかも祈願も定評あって本格仕込みですからね。
私よりだいぶ若いけど神通広大で正統派の事相家です。
逆に言えばそういう多少お間抜けな人(失礼!)であっても安心して任せられるお寺さんです。
実はこの住職、知る人ぞ知る祈祷の達者で超人気者。「紹介してくれ~っ!」って知らん人からも電話がきて以前はずいぶんそう言われた。
一応私も祈祷してるんですけどぉ・・・こっちはお呼びじゃないか。(笑)
ま、そういう人。
下げものくれた人も紆余曲折あってやっと行き着くべきとこに行きついた感じです。めでたし。めでたし。
お守りはせっかく頂いたので有難くお加持して下げものにでもしますかね。