金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

三輪の浄肉


私は菜食主義者じゃないし、何でも食べておりますが、お浴油の間は獣肉は食べません。別に理由はない。
師匠がそうしていたので。
それから日本酒は大好きだけど一人では飲まないことにしてます。
祝いの席とか御呼ばれではお付き合いということで飲みますが、これ弁天様のお供物なので普段は遠慮しています。
交換条件の絶ちものではありません。ただの自戒です。
ことわっておきますが自慢するようなものじゃない。極めていいかげんなもんです。

でもこんないい加減な私でも、そういうののほかに戒律として「三輪の浄肉」という教えがある。生き物を殺してまで食べない。わざわざ注文しない。殺されるところ見たら食べない。という三つ。

このうちまあ、料理としては肉でも魚でも注文はしていますが生き魚料理とか、いけす料理はわざわざ殺すことになるので一切頼みません。
前に海岸地方の信者さんが呼んでくれて生き魚料理が出た。こんな残酷なものは食べないので下げるか、息の根とめてから持ってきてと言ったら料理屋で大層不快がられた。

でも今でもそれは平気で言い張ります。
せっかくの気持ちが無になるけどそんなこと私は構わないんです。
そんなこと言ったら全部うけとらないといけないことになるから。
筋通すなら最後まで。そうでないならすべて好き嫌いなく受けなさいというのがわが師の教えでしたから。

同じく家でウナギを母が所望してさばいたことがあったけど、自宅で殺しちゃったものは駄目だから食べないといってとうとう食べなかった。
せっかく作ったのにと時にそういう下らぬことで大げんかしたりした。
傍目でみりゃ極めつけの馬鹿だね。

自分で殺さぬだけで食べるのだから、結局一緒といえばそこはそうですが、問題は殺す殺さぬより自体、生き物が殺されるのを見て慈悲が起きないというのが問題なんですね。三輪の浄肉の考えは。

いつも言うように生きるということは他の生命を殺すことと同義です。
きれいごというつもりはさらさらない。

でも、だからこそ慈悲が大事なんだね。
殺すんだから一緒・・・ではない‼ 
ここ大事です。
そういう考えしたら戦争で人殺したんだから、そういう人は戦争終わって殺人強盗したって同じということになる。

暮れに活きたイセエビもらったけど、これも食べないからおっかなびっくり夜の海に懐中電灯を頼りにおぼつかない足取りで磯つたいで放しに行ったこともある。

そういうことは2度3度あった。でも暮れの度にそんなアホなことしちゃいられない。
第一傍目に見ても怪しいです。足滑らして自分が「土佐衛門」になるかもしれないし、
逆にイセエビの密漁容疑で捕まるかも。
冗談じゃないです。(笑)
だから、しまいにはそういうものはどなた様も送ってくれるなといいました。

送ってくれた人は、私がさぞ感謝し喜んで食べてくれるものと思ったでしょうね。
申し訳ないですけどね。ごめんなさい。  合掌・・・