金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

縁が濃いほど祈願は叶わない?

くも膜下出血の患者さんの御子息から嬉しいお知らせ。
なんと後遺症もなく、今週退院とききました。
一時はもう駄目でしょうということのようだったらしいけど、
万一助かっても前頭葉の領域はもう駄目になるような話でした。
やはり聖天さんは違うね。ちょっと。
大変な状況でしたから普通よりワンクラス上の浴油で祈った。

するとご当人の言うには「いや、こんなこといっては申し訳ないですけど。怖いですね。かえって滅多なことは頼めないですね。欲願とか。」
欲願大いに結構!頼んでいいんです。
というよりそのためにわざわざ大日如来のあらわした存在ですから。
人を害するとか、不真面目な祈りでないならお金でも恋愛でも、出世でもなんでも祈っていい。
でも、その結果は全部自分の責任ですからね。そこわすれちゃいけない。
そここそが聖天様の怖いとこなんです。
だから何でも叶うより、実は叶わないことのある人が聖天様に近いところにいるんですね。
いっくら祈ってもダメな望み事。試しにほかの神仏やほかの聖天さんを祈る。
そうなったらそれでもほとんどだめです。ハッキリしている。
良くも悪くも結論が出てしまう。
だからあっちの聖天さん、こっちの聖天さんと迷いまくってる人いるけど同じです。
窓口の担当者が違うだけでダメな申請は何度出しても却下は却下。
変わらない。
だからよその聖天さん言って祈願したんだけど叶わなかったんで、こちらでなんとかは基本的にお断りなんです。
それは聖天様が「お前。それはならんぞ」と介入されているわけです。
介入される人ほど聖天様と縁が深いといえます。
それ聖天様の慈悲です。

でも、そうなったら障礙神の本来の力が出てガンとして叶いません。
だからイチかバチかです。
いい加減なところでお茶濁したり、問題棚上げでモラトリアムでいたいなら聖天様の祈願はしないことが一番だと思います。

何が根拠なのか知らんけどたまに「私、聖天様に凄い好かれているんです。どこそこの聖天様が私のことを呼んでるんです!」なんていってくる人もいるけど、ま、もし、そうだとすると主導権は聖天様にあるわけですから、究極、人としても生き方の選択も大きく制限されてしまうのが本当だと思う。
沖縄のカミダーリィみたいの。
ほんまものの優れた霊覚者はそういうタイプが多い。
そうなったら何しても逆らえない。人生差し出さないとダメ。
普通に考えればそれでいいという人以外はあんまりいい事とも思えん。
まあ、でも実際はよくあるようにそういうののほとんどは共時性が起きているのをそう思うだけなんです。
想像妊娠みたいなヤツにすぎない。
幸いなことに私の周囲見回しても本物レヴェルのそういう人はみませんね。