金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

一年三千ということ


天台教学に「一念三千」という言葉があります。
私たちの心の一念も宇宙全体に影響するという考えです。
三千というのは仏教でいう宇宙のことで十如是×十界×十界×三種世間で簡単に言うと衆生の10の性質と100の境涯と三種類の環境空間の組み合わせでできています。全部かけて3000です。
メインは衆生ですね。そこは天文学なんかとは違う。
この考えは当然、宇宙人や龍や鬼や妖怪の存在なんかも含む。
だけど、そこまで説明するのはお利口な学者様には無理かもね。
現代の仏教学者の説明見るとそう思う。
そんなこと平気で言うのは私みたいなクレイジーだけです。

つまり私たちの念は常に三千世界に宇宙線(宇宙空間を飛び交う高エネルギーの放射線のことである。主な成分は陽子であり、アルファ粒子、リチウム、ベリリウム、ホウ素、鉄などの原子核が含まれている。地球にも常時飛来している。)みたいに放出されているというんだけど、実は発信者と念と宇宙とは明確な線引きはない。
そこが大事なところです。宇宙は実は対象ではないんです。
発信したものによって環境はできている。
だから私たちの存在は環境と一体だともいえる。
宇宙と不可分の存在。
それを考えるなら当たり前のことですが、皆さんの宇宙は本当は全部ひとりひとり違うんです。
ここは物理学の宇宙観とは多分に違う。
物理学的宇宙論は切り口が違う。
だから物理学は物理学でいいんです。当たり前ですよね。
何かを否定しないと別な概念を肯定できないというのは思考の病です
大乗仏教の無我とは、実は個我が私ではなく、このような性質をもって無我というのでしょう。
つまり普通は発信者のみを私だと思っている。そこの否定です。
この自分がまるきりないんじゃない。あなたの思っているのような線引きのある自分ではないということです。これを空間だけでなく時間的にもとらえると法華経の妙ということになります。仏教に限定していうなら「大通結縁」ということ。法華の神力とはそういうこと。
だからなんでもかんでも「空」から生まれでるのです。
その力が「般若智」といわれるもの。
「知」といえば知識ですが「智」とういえば働きです。
その奥には「理」がある。理なくして智なし。
だから真言宗で言う「理智不二」ですね。

一神教的に言えば創造主です。
でも本当の創造主は我々自身でもある。個々の衆生が創造主。
一円相で禪画の軸などに描かれるのはそれですね。
だから誰でも自分の形成する空間を別にして生きられない。
魚と水とは常に一緒みたいなもの。
昨日は願望成就のセミナーだったけど、「ああそうだ。自分の宇宙を無視した願望は無理だよね。」と思った。

自分の念が作る空間は魚にとっても水みたいなもの。
魚が水から出たいなんて言ってもそれは無理です。
水が濁っているならそこから出るのでなく、澄ませないとね。
環境が気にくわなくてもそれは実はあなたの別な姿にすぎないのです。