金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

雪男はいる?いない?


たとえば雪男いると思いますか?
いるという人には見たという人から、いると思う人まで色々。
いないという人も同じ。動物学的にいるわけないというものからまさかそんなことレヴェルまで色々。

私ですか?わかりません。ただいたら興味深いとか面白いなというだけ。
いっぽうでそんな話は子供じみていて馬鹿らしいという人もいるでしょう。
色々な人と出会うと毎日、色々な話しを聞きます。
「ああ、そう・・・」と言って聞いているけどなかにはどうなんだか知らないし、わからないことも沢山。正直言えばほとんどそんなかも知れません。

たとえば宇宙人はいますか?いるわけないともいるとも意見は二分されると思うけどどっちも思うだけです。
そんなことで言いあっても結論出ないのは当たり前のこと。
この人がそうですってタコ足の異星人でも連れてこない限り、そこはいくら話しても結論にはならないんですね。論拠がばらばら、証拠があるわけでもない。そういうのはいくら話しても厳密には結論を導く議論にならない。

でも人はよくそういうことでも言いあいますね。
あれって実は自己表現の一種なんだろうなと思う。あるいはゲーム。
つまり人間は自分は「宇宙人いて欲しい派」。「いるわけがない派」で自分そのものの表現をしている場合だって多いのだと思います。
それでそこを否定されるとなんか自分自身が否定されたように感じてヒートアップする。いるか、いないかはもう本当の主題じゃない。
そこでおきていおるのは一種の投影に近い。それぞれいると思うこと、いないと思うことでそのスタンスから恩恵うけているんでしょうね。

ただそれだけ。
そんなことは所詮議論自体に大きな意味はない事が多い。
だからその手のことは私は目くじら立てて言い合う必要もないので、そういう場は「ああ、そうですか?」で終わっておく。

人間死んだらおしまいか否かも同じ話。そんなもの口角泡を飛ばすだけ無駄。だから否定も肯定もせず、心の資料室に有益そうな情報、これはと思う情報は入れておくだけ。後でなんか役に立つかな…という程度の感じで・

正確に言えば私は死後はあると思うというよりあると思いたいだけ。
でも「そんあものあるわけないでしょ。」という意見も否定しない。
というよりできないです。

どう思うと言われれば「わかりません。」でも信じますというだけの事です。
答えとしては極めてつまらないけど本当のことです。
だから霊の話は共通了解の取れた前提でしゃべるだけ。
もっとありていに言えば私みたいにそう思い込でいでいる人同士の会話ですな。

「え、宇宙人は絶対いますって?」
まあ、地球人類も宇宙人いうならばそうだね。
地球人でない宇宙人もいたらワクワクするけどちょっと怖い。(笑)