金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ある眷属と話す

ある大眷属の狐霊と話しました。

飯縄様と違って受け答えはする。
向こうは私に対して丁寧な言葉はつかいません。「おまえ」よばわりです。
阿毘遮法(霊媒祈祷)などの経験上、上級の眷属ほどあまり威圧するような言葉はありません。
しかしながらこの狐も威厳は感じるがむやみに威張ったりはしない感じでした。

「将来、私が死んだあと、どこかいくの。」と聞いたら
「お前が死んだら送って行ってやる。あの世の門の手前まではな。」という。
「で、そのあとは?」
「知らない。なんかまた新しくやることができるだろう。」
「よそに行くの?」
「本尊の意向にによっては今までと違うところにいくこともあるのさ。」
「私はどうなる?」
「知らぬ。…・勘違いするな、我々はあくまで本尊に付き従っているのだ。お前ではない。そのようなことは知らない。」
「それはわかっているけど・・・」
なるほどね・・・
「では狐を使う術とかどう思う?」

すると笑って「(行者が)本尊と密なら自然とそんな風にもなろうよ。眷属を使うなどといっても、なかには互いがつるんで利用しあっているだけのものもいる。使うのではない。実は使われてもいるのだ。むろん、本尊を抜いては我らは動かぬ。」

「そのようなものは皆、奇態なことを好む。人を驚かすような現象は起こすが、それ以上はたいしたことなどできない。手品のようなものだ。」

「(忙しいので)もう、去ぬ。」と言って消えました。
こんなに話をすることはめったないことです。
多分そういうのも本尊の許可がいるんだね。
私自身もこんなことしたことはない。これも本尊の力かと思います。
さいごに名を問うと教えてくれました。女性のような名前ですが女性でなく男性(雄狐?)のようです。
「霊界のものが名を明かすのは信頼の証だ」と彼は言いました。
今はまだそこにその名を言ってはいけないそうですから言えませんが、彼とはいずれまた会いそうです。
 
こういうことができるのに「霊能者じゃないなんて嘘言え」と思うでしょうが、これは加持感応の世界です。
私の持つ「能力」ではない。
加持力に感応した結果の話です。
いわばこれも念誦の延長みたいな世界です。
 え、単なる精神病だって?
いやいや、否定しません。そうかもね。(笑)