金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

毘沙門天と霊の供養


毘沙門天は当院では十一面観音の脇侍仏ですが、ひそかに大変面白いと思っているのは毘沙門天にはほかの天部には珍しい滅罪の功徳があると思うのです。(写真は当院蔵の毘沙門天三尊)
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といいますのは、もうだいぶ古い30年以上昔のことですが毘沙門天を勧請した時に、大変多くの方から精霊供養というものを頼まれました。

精霊供養はわが師匠から一門の秘儀として伝えられた方ですが、ザックリ言ってしまえば施餓鬼の一種で因縁の深い霊のための供養得脱法です。
私が天蓋護摩と火消三昧を習いおわった時にはこれでやっと小学生レヴェル卒業だなと言われましたが…こちらはもっと高度なもので失敗すれば最悪命にもかかわると言われたものです。
高熱が何日も続いて下がらないという。
まあ、けっこうやっていますが今のところはそういう経験はない。
でも七日にもわたり修さないとならない覚悟のいる法ですのでこの頃は滅多にしません。
弟子にやらせてなんの障礙もないな・・・と思っていたら、功徳がないので霊がほとんどやってこないというそれ以前の場合もあります。相手にされていない。
お施主さんも費用が要りますし。その辺を理解していない人ではすすめることはできない法です。逆にいきなり来て精霊供養と言われてもしません。
しかしこの頃は本当に怖いものをまだ知りません。
この時は10件も頼まれて引き受けてしまいいやはやどうなることかと思いました。

この時、霊能のある法友が何も知らずに拙寺に訪ねてきて「わあ、気色悪い!でっかい餓鬼がいますよ、二メートル以上ある!」と驚いていました。
思うに餓鬼の集合体だったのかも。

この時、なんで毘沙門様を勧請するタイミングでこういうことになるのか自分なりに考えてみましたが、そもそも毘沙門天の眷属は夜叉羅刹という鬼神です。
でもこれを調べてみるともともとは人間だったものが、何らかの誤りで死後そうなるとインドでは考えているのだという文献を読んで、「なるほどなあ、ある意味毘沙門天はそうした死者の首領でもあるのか・・・」と思いました。
それなら精霊も寄るわけです。

このことから普通天部は葬儀滅罪などを嫌うといいますが。「毘沙門天と閻魔天に関しては私はそうではないな」と思うようになりました。
天台宗の葬送作法の書である「安楽集」にも葬儀に四天王を呼び、亡者を加護して浄土に送る作法も出てまいりますし、必ずしも葬儀滅罪を嫌わない。

こうしてみると四天王のいずれもが鬼神を領しているがそれは元は人間だった可能性もあると思います。
まあ、龍とかは別でしょうがブータやプレータ、クーバンダなんかの下級鬼神はそうでしょうね。実際、餓鬼の一種ともみなされている。
なかんずく毘沙門天は鬼道に堕ちた人を救済してくれるのだと思います。
精霊供養でうまく解脱する霊たちもあるでしょうが毘沙門天のもとで眷属として修行する者もなかなか多いのだろう。

この経験から「もっぱら滅罪をする寺院の護法神にはなにがいいか?」ときかれれば、扱いの大変な聖天尊などよりも、断然に毘沙門天がいいなと私は思うのです。

観音経には33変化身のうちに毘沙門身がありますし、この天の御本地はやはり観世音菩薩がふさわしいでしょう。
聖観音は六道のうち餓鬼道の救済者ですし。
滅罪、祈祷の功徳を合わせ持つ天尊です。ありがたいですね。
聖天尊の現世利益一辺倒の信仰などに比べて誤りが少ないのも毘沙門天には滅罪の功徳があるからかも知れません。