私のいた高校は極めて変わっていました。午後はみな自由授業。
演劇もあれば高等数学もある。
私は「社会問題研究」という授業からオファーがあった。
私のいた高校ががちがちの左翼学校で活動家教師がゴロゴロ。で、この授業の先生もピストル所持で逮捕されたという経歴の人でした。
で、当のツワモノの先生が声かけてくれたので行くことに・・・。
案の定最初から最後まで私はがちがちの右翼少年の役どころでした。
でも正直責任はまったくないとは思っていなかった。
ただ、役割上ないと主張することに。
理屈はどうとでもつくのでそれでもまあよかった。
しかしながら戦勝国に対しての責任などないと思う。
ただあるとするならそれは皇祖皇宗や英霊、銃後の国民に対する責任である。むろん外地で非戦闘員の無抵抗な民間人に危害や暴行を加えたことがあればそれは大きな責任である。
陛下も人間であるから当然そういうお気持ちも強くあったでしょう。
一個人ではない。まさに役割です。原則プライベートはない。
私がその意味で当時の天皇の戦争責任を問うならあるべき形は「ご退位」だったと思う。
でも実際は退位されていたら日本中は大混乱だったでしょうからご退位はなくてよかった。なぜなら責任と役割なら役割が断然重いのが陛下です。
そこは政治家とは違う。同列に論じてはならない点です。
天皇としての責任は一個人としての責任と微妙に違う。
おそれながら今上陛下のように亡くなったら普通に埋葬して欲しいなどというのはお心通りにかなえてはならないことだと思います。
天皇とはその特殊性にこそ役割がある。
内閣総理大臣でもやめればただの人です。
しかし天皇は終生決して個人にはなれない辛い辛いお役目です。
開かれた皇室というのと天皇も等しく庶民レベルというのは違うと思うのです。
我々と違いタカミクラにおわしますことこそ天皇の御責務なのですから。