金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

大西先生の事 「行者誕生」

わが師の師である大西先生には、私が白戸先生にお会いした時にはすでに亡く、私はおあいしたことはありません。ただ相当の術者であったようです。これは天部信仰読本でも触れました。

さて舞台は戦前の愛媛県は松山です。
大西先生はもとは在家の方でした。

ある時、あるお寺に行った。どうして行ったのか?
なんか占いが得意な和尚がいるというので行ったそうですが、何か悩みがあったのかどうかは知りません。
この寺は後に石土宗として寺門宗から独立する総本山石中寺の前身だったように聞いていますが…詳しくは知りません。
このお寺にいた人が中嶋庚岳という方でした。
庚というくらいで庚申、つまり青面金剛の行者さんだったそうです。

それで見てもらったらもう命があまりない・・・といわれた。
いついつ死ぬとまで言われた。‼ショックだったでしょうね。当たり前やね。
大西先生はそれをもろに信じたんでしょうね。

いろいろ嘆いた挙句、若い大西先生は「もうどうせ死ぬんだ」というので、近くの道後温泉で芸者衆を総揚げして七日七夜遊びに遊んだそうです。
でも、それで結果死ななかった。派手に遊んだ莫大な借財だけが残った。
大西先生も人が悪いですね。
死んで踏み倒すつもりだったんでしょう。
それで血相変えて寺に行った。怒鳴り込んだ!
「お前の言うように死に支度したら死ななんだぞ!どうなってるんや。」
そうしたら中嶋先生が「死ななかった?ははあ、あんたお金使ったやろ。それもえらい金を、」ときた。図星だ!

大事なことは財と命というのはしばしば裏表です。
宿曜道」でも財帛位の裏は病厄位になっている。
表を求めすぎると裏が出る。
陰陽極まって転換するのも同じ理合いです。
聖天さまの信仰してもうけすぎて死ぬのは、儲けた罰じゃなくて命が財に代わるからですね。
だから身に沿わぬ財は使いもせぬのに願っては良くない。
どんどん善事に使い、社会事業に寄付などするとそれがない。財を命に変換しているんですね。
利口な聖天信者はそうする。
でも大西先生は善事に励んだわけじゃなく遊んだだけだから・・・死ぬのが少し先に延びただけだと言われた

そして静かに言われたという。「・・・お前さんは行者になって一万人助けなさい。そういう宿命だ。そうしたら本当に命が助かるよ。」と言われた。
血の気は多いが素直な大西青年はかくして中嶋庚岳和尚の弟子となる道を選んだのでした。

行者大西義正の誕生でした。