金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

大西先生の事2「天満宮のお告げ」


そういう大西師のもとに13歳で入門したわが師白戸快昇(照彦)ですが、その経緯というのが変わっている。
何でもその街には「お代さん」つまり神様の下りる行者さんが何人もいたそうです。

いわゆる霊媒ですね。そういうのを「お代さん」「寄り代」と呼びました。
その街では子供はある年齢になると将来を見てもらいに行くようです。
それで中学生の白戸少年も慣例によって将来何になるべきか霊媒立ててもらったといいます。

立ててくれたのが義理の伯母上に当たるお代さん。
そこででたのが「お坊さんになれ」という答えでした。
お告げをくれたのは町の守護神でもある天満宮
天神様は神様なのに「お坊さんに成れ」は変だと思う方もいるでしょうが、そこは四国随一の修験の山、石鎚山の近い修験の里です。
神仏習合は当たり前でした。

「それでも本当にお坊さん?」ということで二度行った。
二度目にはもっとはっきり天満宮が「お前は坊主に成れ。ただし葬式する坊主ではないぞ。生きてる人を救う坊主だぞ。それに成れ!」といわれたそうです。
しかも「不安に思うな。天満宮が守るぞ。」とも言われた。

それでその伯母様の紹介で「不動精神協会」の大西先生のもとに住み込みで入られたそうです。学校はそこから行った。
でも大西先生はきつい人でお仕えはなかなか大変だったという。

師匠は「だから私は反面教師であまり怒らないようにと思っている。」と言われた。
怒らない師匠からは良く怒る弟子が、良く怒る師匠からは起こらない弟子が育つとも言っていました。
私たちには「だからあんたらは良く怒る師匠になると思う。」といっておられた。そうかな_?

師匠が大西先生に大きく怒られたのは二度で山に薪取りに行って車を谷に落とした時とてんぷらあげていて沸騰した油をひっくり返した時。
そのあとはしばらくは口もきいてくれなかったという。
でも、熱いてんぷら油浴びて真っ赤にただれた皮膚を大西先生が印を結び呪文を唱えるとみるみる肌の色が戻ったといいます。
これには師匠も驚き、早くそういう術の使える修験行者になりたいと思ったそうです。

これが「火伏の術」で私の道場でも同じですが、密教やれば天蓋を焼かないように焚き、しかも「熾き」に手を入れて焼けないことを確かめるテストがある。
それで火傷しないなら初めて祈祷免除がでるんです。
大西先生は霊媒もできて祈祷もできた方でこういう人は珍しいものです。
祈祷は能動、お代は受動なので普通は両方は達者にならない。伸びるのはどちらかです。

でも大西先生は両方達者だった。

対するにうちの師匠は霊感が自分は全くないとよく言っていた。
実際はそうでもないと思うけど・・・
で、霊感欲しくてどうしようかと言ったら、ある方が稲荷信仰したらいいというので、こっそり庭の木の陰にお稲荷様を祀って拝んでいた。それで火渡りなんかよくできるよう祈っていたらしい。強い位のある動物霊は火を防ぐ力もあるものですから。

大昔、日光修験道の柴灯護摩に行かせてもらい火渡りをしました。
このころの日光修験道は荒っぽい極みで火を盛んにするため、なんと油まで撒いた。
その猛火轟轟たるところを渡る。うちの仲間は五人だかで渡って焼けなかったのは私と蒼龍院だけでした。そのくらいきつい火渡りをしたんですね。
当時の蒼龍院はまだ寺持ちでもない在家だけど、そのころ彼には狐のご眷属がいたのでこれがよく火を防いだ。
狐でもそういう通力がある。

で、当時の松山は修験者の多いとこですから、白戸師匠もそういうことは当然見て知っていたわけです。

でもそれが大西先生に知れて「お前は狐憑きになりたいんか」と叱られたこともあったという。


師匠は「あの頃はわからなかった。そういう人が子供心にうらやましかったけど、途中から霊能者なんか見てたらしんどいし、長生きしないしなるもんじゃないと思うようになった。ならなくてよかった。」とよく言っていました。
でも大西先生自身は優れた祈祷者でもあり霊感者でもあったといいます。


続く