金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

大西先生の事4 「ヤサカエイトヒメノミコト」


かくも強い法力を持った大西先生。
刀印でエイッと切りつければ次の日にはその切りつけた稲穂がばらばらに腐って落ちるほどの力があった。

留守するときはお米の粒を祈って置いていく。
病気とかできたらこれあげておけと言われたそうです。
実際にこれを頂くと良く病が治る。
それで皆頂きに来る。

なんでそんな力があるのか、あまりに不思議で尋ねたら「当り前じゃ。これは俺の命が削り込んであるんだわ。」と言われたそうです。
しかし大西先生はこういうパワーがあったので逆にそんなに多くの法術を知らなかった。

法がなくても大概のことができてしまうのが大西先生でした。
で、白戸師匠は大西先生のほかにも梅本院の田邊辰嶽先生にも法を習った。
田邊先生は石鎚山の黒川にこもって修行した時とで法華の呪術も知っていた。
だから私が持っている法にもそれらしいものはいくつかあります。また法華らしくよく祈祷次第に鬼子母神が出てくる。
昔は法華の人も修験やったり、その逆もあったらしい。
実際に三井寺にも結構日蓮宗の僧侶が遊学したりしていた記録があるといいます。
 
さて、田邊先生は気合術で有名な濱口熊嶽とも親交があった。熊嶽さんはよく愛媛に遊びに来ていたそうです。
濱口熊嶽師は気合で虫歯を抜くという不思議な人で実際、板に打った五寸釘を気合で抜いたという。
本物の超能力者です。

歯医者からは怪しい治療をすると訴えられたが60数回に及ぶ裁判でも実際に歯を抜いてもらった人が非常に多かったので詐術ということはできず、しまいに濱口師は裁判所で歯医者たちに貴様らの葉を今抜いて見せてやる!とまで言ったそうです。これには歯医者たちもたまらず訴訟は取り下げられたと聞きます。
「エイエイ、マアマア」という不思議な気合を掛ける。
私はこのマアマアというのは実は摩利支天の種字マ字の事かなと思う。
摩利支天は諸尊中最も効験が早い。目の前で物理現象を起こせるとしたらまずそうでしょう。

でもこう言うのは実は法というより強烈な守護神の仕業です。だから習っても他の人はまず十中八九うまくできない。
祈祷行者には強い守護神がなくてはならない。
でも自分の行力がないと彼らはついては来ない。
 
そして不浄の煩悩を起こすのをとても嫌う。
ここで言う煩悩とは必ずしも、酒を飲んだり、女性に近づくことではない。
そういう何かをするとか、しないよりも神仏意外のものに心を奪われることを嫌うのだ。
神仏以上に何かに強く執着したら…彼らは離れます。
そうなると術はいともたやすく破れてしまう。
術が効いてるという場合は代わりにろくでもない霊が入り込んでいつの間にか操られてしまっている。

そういう時には本尊や守護神は「オイオイ、どうなっているのだ!」とはいわない。大概黙って去るのみ。
言わねばわからぬようではもう駄目。語るに落ちるということです。
程度が軽いとお叱りがある。程度がひどいとお叱りがあってもわからないんですね。おそらく。

だから評判の良かった行者さんも途中から、変にあくどくなったり、妙に金や物に執着するようになるというときはそうなっている可能性がある。
そういう時は神仏以外に心奪われている。必ず。
お金やなにか価値のあるものや異性に夢中になるのは普通の人なら当たり前ですね。
でもそれが許されない世界なのです。

必ずしも品行方正のカタブツでなくてもいいが、どっぷりとした執着は許されない。駄目なのです。
相手が家族といえども過度の執着は道を失う。
そういう意味では物理的ではなく行者は精神的には孤独でないといけない。

いくら厳しい行をしていてもここは抑えていないといけない。ボクサーのような世界も練習は本当に過酷で孤独だといいますが、でもそれ以外の時間はそうではない。
それが四六時中という厳しい道です。
行者はここは世俗、ここは行の道と分けられない。
本尊と行者と守護神がセット。それ以外は門外漢の世界。
大西先生はおんざき様、白戸師匠は天満宮
そして先生の伯母上にはヤサカエイトヒメノミコトという耳慣れぬ守護神があったそうです。

ある日夢で「私を迎えに来ておくれ。私はどこそこの島にいるぞ。」
それで行ってみたらその通りのお社があったといいます。
瀬戸内海の無数の小島の一つにお社があり、そこに夢のお告げで行ったといいますからまさに神の導きなくしてはたどりつくものではありません。
白戸師匠の伯母上はそれを勧請して依り代として祭壇の横にお姫様のお人形を作って安置したといいます。

つまりその人形自体が御守護神ヤサカエイトヒメノミコトということなのですね。
ただし守護神は守護神。本尊ではない。
だから本尊押しのけてでてくるのが外道で守護神ではない。
私はそう教わりました。
守護神は行者とともに本尊に仕える存在なのです。
そういう目に見えぬパートナーとやっていかないといけない人生です。