白戸師匠はこうして高校卒業するまでは大西先生のところにいたそうです。
何の術でもよく効いたけどそういう学問的なことにはあまり大西先生は興味はなかったようです。
ある時お札の中に入れる内符を書いていた。
白戸師匠も笑って「どうだかね。」といっていました。
そういうわけで昔の大福生寺には青面様の影が強かった。
そういう折から私の弟子のS君は青面金剛の霊示を受けた人でした。
大変霊感が強く、ある日、家の天井が破れて五色の鬼がおりてきたという。そして掌には、蟲という字が。
そんな話したら「ああ。それは庚申さまだわ。青面金剛や。」と感激した様子。
そんなこんなで白戸先生もけっこう彼を近しく思っていたようです。
たぶん白戸先生にしてみればどこかで中嶋庚岳師から大西先生、自分、羽田、そしてS君に一本に霊的な相承が流れているように思っていたのかもしれないですね。
修験道の内符を見ると奇天烈なものも多い。
しかし此れもうかつに直せない、そこがミソの場合もあるから。
さて、そうこうしているうちにわが師はもっともっと色々勉強したくなったそうです。
一方、大西先生は残ってほしかった。後を次いでほしかったそうです。
息子さんはいたそうですがあとをやる気がなかった。
それでひそかに初めから白戸師匠を養子にして不動精神教会を継いでもらおうと考えていたらしい。
でも白戸師匠はというとまだまだ若かったし、もっと修行したい気持ちが強かった。
のちに不動精神教会の方はそのあと大西先生の弟の正英先生が継ぐことになりました。
大恩ある法の親というべき大西師匠の後を自分は継がなかった。
だから自分はどこの養子にもなるわけにいかない。
このことは心に残りました。
白戸師匠はこの筋を通して大福生寺に来た後も終生養子にはならず、白戸姓を変えることは無かったのでした。
続く