金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

幸せになる仏道修行?


時々、因縁が深いので幸せになるのに修行しないと…ということで仏道修行、めざす人がいますが…。
「私因縁が深いんで、だから修業したいんですぅ。」とかいう方々。
修行の目的は何?幸せになりたい?
その方の言われる幸せって一体何でしょう_?

お金、病気、結婚。家庭の不和ですか?
確かにこういうことがきっかけで出家得度して仏道に入るという話は昔は多かった。
でもそれが得たいので仏道修行というのは少々違うんですね。
昔の方々ははそれらがきっかけで出離の心が起きて仏道を求めたわけです。
伝教大師のお言葉にも「衣食のなかに道心なし」といわれます。
なにも仏道だけでなくおよそ宗教とはそういうもの。
たとえば病気平癒のための四国巡礼。
これ基本的に修行ではなく祈願です。
だから私たちは師僧から「天下泰平 万民快楽」以外は祈ってはならぬと言われた。世福のための修行ではないから。
勿論祈願の巡礼もあって問題ないのですが、この二つをごちゃごちゃにしてはいけない。

極端な話がオウム真理教です。
絶対幸福、絶対歓喜なんて言葉づらだけに踊らされて、家も財産もあまつさえ生命もうしなった愚かさに学ぶべきです。
詐欺で上げられた「法の華三法行」も同じ構造。

だから世福を求めて仏道に入るのは違うんですね。
仏道を、学ぶことはある意味、世福とは違う価値観を学ぶことでもあります。仏道修行がそれ自体が幸せです。
勿論、世福は世福で大事ですが、このやりでの世福追及は野原で魚を捕るようなもんでしょう。
全くの徒労になるのは必定です。
仏道とはそもそもなにかの手段ではなくそれ自体が目的なのです。
悟りという遠大な目標はあるけど悟っても仏道の生き方から出るわけじゃない。

以前結婚できないので得度した女性の話を聞きました。結婚するために得度したそうです。
そもそも結婚するのに尼になるってありなの?
幸せになりたいだけなら世俗の努力と在家の信仰、祈願で十分。
世福を求めて色々祈願してるけど駄目だというなら、さらなる世俗の努力と人を愛し、愛されることを学べばそれでいい。それ以外なし。
そのための仏道修行なんて・・・てんでお呼びじゃありません。