金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

七人みさき


四国で言う「七人みさき」は七人の不幸な死に方をした亡霊の集まりでいろいろに言われていますが、私が師僧から聞かされたのは七人まで取り殺す。つまり連続的に人が死ぬというのが特徴の霊障でした。
実際の数は七人とは限りません。
本土で言う「金神七殺」に似た概念です。

私は、幸いまだ出会ったことはない。
いったんある程度まとまった数死ぬと亡霊が一種の集合無意識化して巨大な力を持つ悪霊になることをいうようですが・・・。
実は七人みさきの本体はそうやって次々に死んだ人間たちじゃないんですね。
彼らはただの犠牲者です。
本当はもっとずっと古い古い死霊の集合体。
こうなると単に昨日今日亡くなった怨霊の集団とかではない。
個々の霊の持つ事情などを超えたものが働きだします。
 
師匠はカリキュラムの最後の最後に「精霊供養」という秘儀を教えてくれた。
死霊得脱法です。
ザックリ言えば七日間施餓鬼法ですが色々口伝もある。

でも授かった時に「今のあんたらには七人みさきを相手にするだけの力はないから。そういう案件は受けないように」といわれました。
実はこういうのは霊的ブラックホールみたいなもので何とかうまく収めてもlなかなかなくなるわけじゃない。
またどこか別なとこで顔を出すんでね。
古い念の集積でもはや怨念の塊みたいなもの。
その瞋りの理由なんかもうどこか行ってなくなっているので解決ができない。
そういうのが集まるのだから手に負えない。
霊媒祈祷しても普通は説得不可能なのです。
ひたすら犠牲者を求めてくる。成仏や供養なんか眼中にくなってしまっている。
いってみたら「悪魔」なんですね。
西洋の悪魔もからくりは一緒。
だから生贄がいるんです。
こういうもののミニ版を作る方法もある。
毘陀羅の法。一名起屍鬼の法という。
もちろん邪法の類ですけど。

こういうものに出逢って術者がおさめきらないままだと、もう高熱が下がらずに死んでいくらしい。
だから未熟なものは絶対に手出しするなと言われた。
まあ、一種の妖怪ですね。でもいわゆる妖怪はこういう人の念が凝ったものが多い。

ほかにも昔から言う○○女とか○○男といった「人型妖怪」はみなそうです。
だから人工的にも作れる。念が強ければね。
式神というのはそれ。意識すれば蛇でも狐でも形は自由です。実際は識神といってもいい。
これに対し、もう一方の動物型や鬼神の妖怪は自然霊の類。精霊です。
龍、霊狐、四国に多い霊狸・・・なんかです。実類というやつですね。
これらは修行して神上がりすれば 神祇の類です。

一番わかりやすいのは狐霊を祀った稲荷社とかですね。
宇迦御魂命や荼吉尼天ではない。
普通はそういうのをおさめるので宇迦御魂命など勧請するわけですが、狐霊だけで稲荷やっているのもある。

こういうのは相手にするのに交渉術がいる。
修験者の使う護法童子というのは実はこっちです。
式神はもともと自分の意識なのでいかようにも自由になるけど限界がある。
護法童子はそうではない自分を超えるものもいるけど、行者がやることが気に入らないと、馬鹿にしてすぐに離れてしまいます。
どちらも一長一短です。