金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

この感じ、聖天様じゃないです


先月、大福生寺に月札を頂きにうかがったたら、内陣からなにか小さいけどもの凄いパワーが来ます。

福生寺の内陣は聖天様がいらっしゃるのだから強いのは当たり前ですが、この感じは聖天様ではない。
もっと瞬発力があり、爆発的というかそういう感じ、聖天様はどっちかというと、どっしりしてジワジワきます。重力を感じる強さです。
師匠に「なんかおられます?凄い方が」と言ったら、内陣からすぐに「これでは?」と言って出てきたのが厨子入り多面の摩利支天。
いや、摩利支天と言っていいのかな_
大威徳明王の笠懸法の本尊みたいなものです。
こんなに多面の摩利支天様はみたことない。七面か九面あったと思う。
猪に乗っていないなら大威徳明王かと思いますね。
あるいは大元帥明王と思うかな。
いや怖いですねぇ。これは・・・

持っていた人がお寺において欲しいという。
預けるのか奉納なのか分かんないけど…でもこのご本尊様はこちらの内陣が気に入っておられる様子。

「先生のとこ置いといたほうがいいですよ。これは・・世間のお人の持つもんじゃないですわ。」と申し上げて帰りました。

強そうな本尊にあこがれる気持はよくわかります。私も好きです。
でも強い即良いではないかも。
そこは一つ一緒にしない方がいいと思うのです。
特に忿怒形の摩利支天などは古仏は剣術試合などの祈願をこめたものやなかには逆賊討伐のための造像もある。
だからそういう戦いとかにはめっぽう強いけど、商売や学芸、和合や良縁健康祈願などはどうだろうか。

蒼龍院さんも摩利支天だけど、祈祷本尊を天女の形にしてから幅が出て大きく流れが変わったように感じる。
先代の白戸師匠も憤怒尊であるにせよ、形像があまりこわすぎない方がいいよといっていました。
聖天のお像も古来、あまり牙を長大に作っては障礙があるので良くないといいます。
特に最近、仏像といっても奇をてらってなるべく恐ろしく作ろうとし、仏の姿とは言いようなものもあるのは残念な傾向です。
これなども拝むものであることを忘れているからともいえましょう。