俗にいう「出るくぎは打たれる」で、そうした奇抜な祈願の話などを聞いて嫌う人もいたので、お寺をもらえる話も出ましたが、そういう方のご意向でそのつど立ち消えになったのでした。
とはいえその間も滋賀県の山奥のお寺のお世話を一年頼まれたりしていたようです。
そのお寺がどこなのか私はきかないで終わってしまったが、師匠が「いつか、みんな連れて行こうと思う。」となつかしげに語っていました。
そこはかなり辺鄙ですが本尊の十一面観音や大威徳明王の立派な像があったそうです。檀家らしいものもなく、さりとて祈祷すればひとがあつまるような場所でもない。そういうお寺だそうです。
それでもっぱら托鉢して生活した。
よく駅などにずーっと立っている僧形の人がいるでしょう。
近くに行くと何か違う国の言葉でむにゃむにゃ言っている。
ああいうのは托鉢じゃないんですね。
托鉢は「行乞」と言って家々を訪ねて読経するなり、お札を配るなりしてこそはじめて托鉢です。ただ突っ立って何もしないのは乞食ではなく「こじき」でしょう。
こちらは法を施さないとただお金頂くのは托鉢じゃない。
立ったままでやるのもあるはある。それは「托鉢」ではなく「勧進」といいます。
堂塔伽藍や仏像を建立する寄付を集める人です。
その場合は○○の勧進というふうにその眼目を必ず掲げないといけないのです。
そういうわけで師匠も里に下りては托鉢修行しました。
師匠は四国の人、遍路でそういうのは慣れていましたからね。
まあ、でもこういうお寺は大変です。
こういっては失礼ですが行ってみたら結構辺鄙なところでした。
お寺というものは大きいけどほうぼう痛んできます。とりわけそういう古いお寺は次々と痛む。
特に山なんかにあれば余計そうなる。
だから食べるだけじゃなくそういう費用も稼がないと到底維持すらできない。
総本山園城寺なんか、大工小屋があって四六時中、どこかしら修理しています。
だから住職しても「大きいお寺もらった!」と喜んでばかりはいられないわけです。
住職は伽藍を守る義務がありますからね。荒れ寺のまま、策もなくただ放置しておけば責任追及ともなりかねません。
うっかりとそれを考えずに住職なんかをすれば極めて責任の重い大変なことになります。
そういう人でも来なけりゃなかなか普通は復興できないものです。
ま、そういうわけでそこも限界はあったんでしょう。本山でじきに引き上げて来いというので一年ほどいましたが比叡山に帰ることになったそうです。
でも考えればこのころすでに十飯面観音にご縁ができていたんでしょうね。
聖天さまのご本地である十一面観音が本尊のお寺だったそうですから。
諸仏の縁は妙なところでできているものです。
でもこのころの白戸師匠はまだ自分の守護神である天満宮の本地も、後に出会う聖天尊の本地も、十一面観音であることもまったく知らなかったようです。