Nさんは先輩として私に知らないことをそのつど懇切に教示をくださいました。霊感の優れた方ですから直感的にズバッと指摘する。
その言葉は丁寧で至って穏やかでしたがそのどれもが有無を言えない不思議な説得力がありました。
この人がいなかったらと思うと果たして修行が無事に進んだかどうかもわかりません。私にとってはそういう有難い方でした。
それだけお世話になりましたが、残念ながら53歳の若さで亡くなられました。
優れた霊能者というのは概して短命な人が多い。
師匠がある時、恒例でNさん宅にご祈祷に行った時のことです。
その時Nさんの息子さんは丁度のどを痛めていたそうです。
それで御祈祷を始めようと洒水器に香をひねって入れた。
そうしたらその香が泳ぎだした。うねうねと。
師匠はいぶかしく思い、次に息子さんの。喉に手を当ててみたという。
そうしたらなんだか手を伝わってゾワゾワ来る。これは間違いない。「蛇」だ。
そう判断してNさんを加持した。息子さんに問題があってもそれをお母さんに移すことができる、これはファミリーコンステレーションでもエンプティ・チェアでもできるから原理は一緒、そう難しい事じゃない。
加持したら果たして蛇霊が出てきて語りだした。
これが動物の蛇か、何かの霊獣か知りません。
おそらく宗教的な蛇のイメージが集合したものかと思う。
こうした動物的な元型との葛藤を乗り越えることはそのまま「統合」ということになる。
前にも言ったようにNさんの御実家は馬医でしたから、守護神として馬頭観音の石碑があったのです。
今はそれは山梨の龍石寺に移され供養されている。
蛇の警告ののち、実家に行くとなんと石碑のところに大きな蛇がまっているかのようにとぐろを巻いていたそうです。
師匠は「あんた、馬頭という言葉がついているから動物というなら、頭が象頭の聖天様は畜生か?」といったそうです。そしてそういうのを「牛の眼でものを見る」というのだとたしなめられました。
そうはいうものの師匠は「牛」は好きな生きものでした。
少年時代、修行した大西先生の家には牛がいてその世話が師匠の仕事にもなっていた。
ウシはなかなか人を見る力があり、最初白戸少年をバカにして、まったくいうことをきかない。
業を煮やしてウシの紐を高く、くくって木に吊るし上げてしまい、大西先生のおかみさんから「白戸さん、あんた牛を殺す気か!」と叱られた。
でも師匠はそれからだんだんウシと仲良く、大好きになっていったそうです。
そのきっかけは高村光太郎の詩集「道程」に出ている「牛」という歌がきっかけでした。
高村光太郎はウシに対する見方がまるで自分と違う。
いつも世話しながらなんて自分は牛を見過ごしてきたのだろうか。
だから師匠の言う「牛の眼」とは実は「牛を見る眼」なのだと思います。
さてこの蛇霊は白戸師匠が調べたところ、馬頭観音には毒竜を降伏し、蘇生させて眷属として首にかけているという話があったそうです。
どんな文献を読まれたのか、この話の出どころはわかりません。儀軌にはないことです。
そうしたらある日、郵便配達の人が血相変えて寺にかけこんできたそうです、「外の大イチョウの木に大蛇がいます!」
この人は霊眼があったんだろうとN師は語っていました。
大蛇は傷だらけでイチョウの木にまきついていたそうです。
おそらく当初なかなか降参しないで、師匠に挑んだそうだから九字でも斬られたのかな。
それとも往古、馬頭観音と戦った古傷なのか。
いずれにしてもそういう史実ならない神話は我々の中の無意識層に生きています。
以後、馬頭観音はNさんが霊能者ならではの様々な苦難にあうと必ず現れて大きな御力を示されたのです。