金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

一念十念


天台には八宗兼学の教えと言ってなんでもある。
密教、禅、法華教学、戒律、念仏…
念仏も盛んです。
お念仏は十遍申せば往生極楽するという。
それは本当か否かなどと疑念を言わず、素直に信じれば即得往生するといいます。
「でも10辺唱えればいいものを毎日唱えるのは、それは疑念ではないでしょうか?」と師匠に訊いたことがあります。
普通の坊さんはそんなこと聞いたら嫌がる人が多いものです。怒る人もあるかもしれない。
でも師匠はそんな疑問にも正面から答えてくれました。
この師匠なくして今日の私はありえません。
 
その時、師匠は今東光和尚の「戸津説法」の話をしてくれた。
戸津説法というのは「法華八講」とも言い、八日間にわたり法華経八巻を講義するもの。これが終わらないと天台座主候補に成れない。
だから逆に言えばそれができるのは大変なものなのです。
今和尚は小説家として有名でしたが、その自由闊達な天衣無縫ともいうべき人格でもつとに有名でした。
週刊誌のプレイボーイに型破りの人生相談文「極道辻説法」というのを書いて若者からも人気があった。
その今和尚の戸津説法というのがまた変わっている。こういう方だからそういうところで学問めいた話なんかしないんです
無論大変な教養人です。
亡くなった時、既知の周囲をして「ああ。あの頭脳もつい灰になるのか…‼」と嘆かしめたほどの方です。
だからむしろ学問の話を学問のままなんかは話さない。
難しい話を難しいまま話すのはわかっていない奴に多いもの。
それでいて「フンお前らなんかにわかってたまるか」と煙に巻く。
でも本当は自分自身がわかっていない。よくある話です。

さて、今老師の御話はこうでした。
 
あるところに因業だけど念仏がとても好きな婆さんがいた。
欲張りで意地悪だから皆は嫌うんだけど念仏は好きで四六時中唱えている。
とにかく、これさえ唱えておればどんな罪があろうが極楽に往生できると聞いていたからでしょう。
その婆さんがとうとう亡くなった、
それで閻魔の庁に連れていかれたという。

婆さんは恐ろしい顔の閻魔さまに向かっても臆することなくニコニコと「閻魔様。閻魔様。お聞きください。私は生涯にわたり有り難い念仏を四六時中唱えました。絶対に極楽に行けますよね。」
すると閻魔大王は鬼卒に何やら「ざる」に入ったものをたくさん持ってこさせた。
「婆よ。これが何かわかるか?」
「…?」
「これはその方が唱えた念仏じゃ。こんなにある。」
「そうですとも、そうですとも!」婆さんはここぞと声を大にしていった。
だが大王は首を横に振っていったそうです。
「だがな、どれも芯が入ってない。つまり念仏にして念仏に非ずの「空念仏」じゃ。お前はその上、生前、きわめて欲張りで意地悪く、良いことは何一つしていない女である事は調べの上明白であるぞ。地獄に行くほかあるまい!」
「そんなああ…」婆さんはガックリ来た。
その時鬼卒が「大王様。ありました!一個だけ芯のある念仏が!」と叫んだ。
「何?是へもって参れ。」
閻魔大王が調べるとそれはある嵐の晩、強い雨風に恐れおののく婆さんが雷鳴を聞いた瞬間思わず絶叫した念仏でした。
「ウウム、良いぞ。これはしっかり芯が入った良い念仏じゃ。婆よ、喜べ、お前はこの念仏の功徳で極楽に行けるぞよ。」
 
話を終わって師匠は「だからこの一念のために十念、百念、そして日々念仏するんだね。それが念仏の行だ。」と教わりました。