金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

N先生との出会い

私には白戸師匠の外にも師と言える人は何人かいました。
無論仏法の正式な師匠は一人ですが、人生の師ともいえるのがN先生です。この方は私の武術の師匠です。

小学正の頃からどんくさくて運動が苦手な私は学校で良くいじめられました。でも必ず仕返しだけはしたのでなんとなく厄介な子供ではあった。
弱いけど厄介。なんかハリネズミみたいの。噛んだらハリが刺さる。
ま、はつらつとしない陰険なガキですね。

私らの少年時代は王・長嶋時代で野球全盛でしたが野球とか全然興味がなかったからキャッチボールすらろくにしたことない。
やってもとんでもない方向に投げる。
でも喧嘩したらクリのイガなんか上手に相手の逃げる方向に投げて命中させて保健室送りにしたりできた。妙にそう言うカンは働く妖しい子供でした。
本気でこの野郎!と思うと科学室の棚から硫酸瓶落ちてきて浴びかけたという人もいた。もっとひどいことになった人もいた。
それらは全部偶然といえばそうかも知れないけど私には何かとても悪いことをしているように思えたものです。
それで、そんな藤子不二雄先生の魔太郎みたいなことばかりしてちゃいけないので・・・
高校時代に武術を始めたわけです。
私にしてみればそうやって姑息に怨念を募らせるより、ぶん殴って、あるはぶんなぐられても、それでことを納めた方がはるかに清々しく善きことのように思えた。
しかしながら、もともとが運動キライでそんなふうだからなかなか上達しません。
それどころかかえって毎日のように練習で打ち据えられてあざだらけになった。
打ってくる木刀を素手で受けたりすることもしていたので腕はいつも紫色で、長そででかくしてあるいた。
下手の横好きでした。
はじめ怠け者の私は力を使わないで倒せる武術というのに惹かれました。いかにも怠け者の私が好きそうな武術です。
で聞きかじりだけで「合気道」がいいなと思ったわけです。
第一あのはかま姿でスイスイ敵をさばいて投げるのがかっこいいなと思った。馬鹿だよねえ。
実に合気道には失礼千万なことと思いますが、その時はその程度にしか思っていなかった。
で最初についた人が伊藤竜風軒という方です。
後で知ったのですがどちらかというと剣舞の人だった。でも神明無双流というのを名乗っておられた。
実はこれは浅山一伝流です。室町時代の末に浅山一伝斎という方が作った柔術です。合気道は近所に泣く結局私は現代武道は一回もしないで育った。学校はコチコチの日教組の牙城でそういう授業はなかったし。

伊藤先生は高齢の御髭の先生でマグマ大使のアース様か、講談に出でてくる猿飛佐助の師匠の戸沢白雲斎のような感じ。
「君ね。神明無双流といったって天下無双に強いわけじゃない、よそにない技がいっぱいあるので無双流なんだね。」という愉快なおじいちゃまでした。
「わしゃ何歳だと思う?」というので子供心に多く言った方が喜ぶと思って100歳ですか_?と言ったらさすがにガッカリしていた。
わるいこといっちゃった。()

そんなこんなで一年間くらいたってたけど、そのうち太極拳という神秘の拳法があると聞いてどうしても習いたくなった。
これも力を用いないという。私は不思議が好きなのと横着なのでそんなのにあこがれるんですね。
のちのこの考えは表向きだけの売り文句で、まったくの大間違いだと痛いほど悟るのですが…
それでそれやっている道場、東京は滝野川の全日本中国拳法連盟に尋ねると、N先生の名前を紹介してくれたわけです。
それで早速お尋ねしたら「あんた今、やってるそれを皆伝までやれ、そうしたらおいで。教えてやる。今習いたいなら踊りみたいのしか教えられない。」と断られた。
その時は帰りましたが、「なんとしても太極拳がやりたい。」
聖天信仰でもそうだけど断られたらかえってどうしてもやってやろうとする生来アホな性分なのでそういう気持ちが日ごろ募っていきました。

つづく