金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

台北の街に土下座する


それでN先生を再び訪ねて「踊りでいいから教えて欲しい」というとそこまで言うなら、ということで入門を許されました。
当時の全日本中国拳法連盟には後に柔拳法で独立された地曵武峰先生もいらっしゃいましたし、のちにN先生は柳生心眼流の島津兼治先生や台湾の金鷹拳の陳炎順老師、食鶴拳の劉銀山老師などとも交際があったようです。

島津先生や金先生には私も練習のなかではお目にかかりました。
こちらで私も太極拳ばかりではなく、ほかの内家拳や金鷹拳、古流柔術などを習う機会に恵まれました。
18から21歳ころにかけては本当によく練習しました。白戸先生にお会いするのはこの後の話です。
私はここで何も拳法談義をしようというのではないのです。N先生は私に世の中の良いも悪いも本当によく教えてくれました。

やがて先生は全日中をおやめになり茅ケ崎のご自宅で皆を教えるようになりました。
本当に愉快、痛快な先生で私は良くしていただきましたが、一面矢張り大変きつい人でもありました。
先生ははじめ金融業をしていたそうですが自宅では拳法を教える傍ら拳法由来の健康法も施されました。

実はN先生は全日中に在籍していたので佐藤金兵衛先生のお弟子というだけでなく、本当の師匠というべき人がほかにもいました。
黄先生という方で台湾の人。ただし大陸から来られたようでお家は清朝に仕えた医師だそうです。
N先生は縁あってこの黄先生に拳法を教わりました。

黄家に伝わる拳法だそうですが、あまり長くは教える機会はないからと自分のしている拳法の型をやって見せてみろといわれ、王樹金老師由来の双辺太極拳をやって見せると「型はそれでいい、型までは教える余裕ないから」といわれたそうです。
それから修行が始まった。
でも台湾まで行ってもなかなか教えてくれない。業を煮やして教えを乞うと「あなた、外国人でしょ。昼間教えられない。これは中華民族の精華だ。昼間教えたら裏切り者になるから、夜教えるよ。今晩ホテルで待っていなさい。」といわれた。

それで夜分いまかいまか・・・と待っているが7時になっても8時になっても来ない。
もう11時になったので今日は来ないものと待ちくたびれて寝ていたら、
「コンコン」と小さく夜中の一時にドアがノックされた。
慌てて起きると老師はもう黄先生は廊下をスタスタ遠くに歩いている。

「先生!お、お待ちていました。」と駆け寄ると
「嘘言いなさい。寝ていたでしょう。日本の人は大事なこと教わるのに寝て待つのか、私もう教えられないよ。」といわれたそうです。

それで平謝りに謝って、ようやく今夜またお待ちすることをお許しいただいた。
 
今度は寝ないで深夜2時まで起きていたが来ない。
それでさすがにもう来ないな・・・と思って寝たら、明け方にまたドアをノックする。
慌てて、でていくと、もう遠くに歩いている。
声かけても振り向かない。それで台北の街の道路まで出てそこに土下座して謝ったそうです。

でも、黄先生はちいさなお爺さんだったらしく「あなた、また寝ていたね。ダメだ。」と謝るN先生の背中の上を歩いていってしまう。
そんなこんなで何度も何度も土下座してようやく許してもらったそうです。

「そういう思いで習ったんだ。だから俺は本気でない奴にはこの技は教えたくねえ!」とN先生は日ごろ言われていました。