金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

アユールヴェーダと神道の祈願


今日は病中の母が死ぬこともなく無事3年目を迎えましたので、その折御霊水を頂いた大山の阿夫利神社様にお礼参りしました。
今日は日本晴れです。
ケーブル駅までは結構急な傾斜を15分以上歩きます。そこそこ大変です。
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さて、こちらが阿夫利神社様、3年前に飯縄様のお告げでこちらのお水を頂いて入院中の母にのませました。
3年前、山の上に入ったら大きな天狗の幻影が見えた。この天狗様は自然霊ではなく、つまり古代からの大山信仰の護法の念の集積なんだなと思った。
でもとても強大でこの山を守っていることは変わりない。今回はお見えになりませんでした。

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それで神社の湧き水をペットボトルに二本持って帰り母に飲ませました。
後で医者から聞いたら助からないことが多い状況だったらしいのか「・・・羽田さん、よく治りましたね。」と言われた。

いつ来てもとても清々しい境内地です。
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相模湾も一望できます。そもそも一説に此処の神様と江の島明神の間にできた、御子神が富士山の木花昨夜姫命という。そこでワンセットの霊場ともいわれている。(もっとも、富士山を木花咲耶姫であると一人決めしたのは江戸初期の儒者、林羅山ですから全くあてになりませんが)

同行のお二人。ご苦労様でした。昇殿祈願も終えて下山します。
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あ、そうそう獅子山というのがある。関東三大獅子山の一つ。お獅子の家族がいっぱい乗っている。神田明神とこことあと一つは?・・・わからない。
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同行の一人から仏教の御祈祷との違いを聞かれました。

ウ~ン、スタイルも全く違うけど私流にいうなら神道は中国医学的表現で言うなら「寫」の祈祷。
つまり罪穢れを払う。
いらない余計なものを取り去るということ。
そうすると我々本来の神性が現れ問題を解決するという仕組かな。
罪は古くは包みで神性を包み隠すもの。穢れは気涸れでよくエネルギーの枯渇です。すべて要らないものを心に持ち込むことによる。

この考えはインドのアユールヴェーダ理論に少々似ている。
アユールヴェーダは余計なトリドーシャ(三つの体質構成因子)を捨てる「寫の医学」と言われている。
で、足らないものを補う「補」の考えはないのだけど結果、「補」のあたるものが日常から自然に取れる。
それは神道の祈願も同じような感じだ。

仏教は補も寫もありますが、神道が寫だけだから足らないということではない。
日蓮さんが法華経は密教に比べて三密がないからダメだという論議においてムカデは多足であるが、蛇は無足にてその速きことはムカデを凌駕するではないかと反論している。
私は密教の人間ですがこれは一理あるお話ですね。